2008年2月19日火曜日

ミャーン、ほっと癒されて。

仕事が終る、今夜は遅番。 仕事仲間の黒猫さんと一緒に店を出た。

黒猫さんはひまわりさんの知り合いで繋がった素敵な女性だ。「し」っとりしていて、「し」っかりしていて、「し」んがある「スリーC」な人なのだ。

私は欲張りだ、自分の周りの素敵な人々を長く吟味したい。黒猫さんもそんな人だ。

出会いは腐るほどあるが、その腐る出会いから「吟味したい人間」にありつくまでには時間を要する。

それほど親しくもないのに当たり前のように人のことを根堀り葉堀り聞いて、そんなに急いでどうするのと思わせる人もいる。

その衝動は街で見かけた「いい女」をその場にある言葉で口説いてホテルでセックスをして、3度目からはその女からの携帯電話を無視するズルイ男のように似ている。 私にはそう見えるのだ。

相手を吟味したいならば、「外観」だけの質問攻撃で「この人はこういう味なのか、おいしかった、ごちそうさま」とゴクリと胃の中ですぐ消化して排泄することはない。すぐにゴクリとやってトイレに向かうのは「上辺だけの猫かぶり」と出逢ったときだ。

根堀り葉堀り聞いてその人物を判りきったように振る舞う奴は、私には及びではない。たかが数ケ月で人間を吟味できるはずがない、人間はそれほど単純にできているものではないはずだ。

「あなたって本当に我がままね」とそっぽを向くようなせっかちな人間とは繋がりたくない。そこで縁が切れても構いはしない。誰とでも気性が合う奴なんていないし、「皆と仲良くするのが当然よね」といい合う見せ掛けの優等生達にも飽きた。


歳月を掛けて、相手をじっくりと噛みしめ、吸い上げ、奥歯で噛んでみたり、舌で転がしてみたり、相手の触感や肉汁を口の中で味わう。それがNANA流「人を味わう術」なのだ。

長い間Qちゃんをそうやって味わっている。甘い肉汁が出てホッペが落ちそうな時もあったし、噛んでも噛んでも味けない退屈な頃もあった。

彼の骨が喉に刺さって口からペッと吐き出したこともあったな。しばらくしてまた口に入れてモグモグしてみると、あの骨は私の唾液で溶けたのか、それとも私の前歯で噛み砕かれたのか、それとも私の気のせいだったのか今のところ軟らかく邪魔にならない肉だけとなった。

これから先Qちゃんはどんな味で私の食感を刺激してくれるのだろうか、もう刺激はないだろうし、いらないな多分。その頃には自分の歯もガタガタになっていて、Qちゃんの肉も薄ぺらっに変形していて調度噛み具合が良い関係になっていればいい。

Qちゃんを先頭に私の毎日の暮らしにはたくさんの「ご馳走」が登場する。ハワイにも数名いるし、オレゴンにもいる。彼らはじっくりとゆっくりと私の口の中で知らず知らずに噛みしめられているのだ。

黒猫さんもその「ご馳走」の一人だ。私は単純明快だから「ご馳走」にあうとニコニコしてしまう。ヨダレが出てしまうのだ。
黒猫さんが焼いてくれたマフィン。黒猫さんがキッチンで小麦とバターを混ぜ合わせている姿を想い浮かべる。うふふ、可愛い。そう想える自分は「素敵な人」と繋がっていて嬉しくなる。

黒猫さんの飼っている2匹の黒ネコが、マフィンが焼けた匂いに釣られてキッチンに立つ彼女の足にまとわりつく、ミャー、ミャーとグルグルと何度も、何度も。人を想わせる、あなたにはそれだけの密がありますか。私の周りには、ブログに記録しておきたいと想わせる人(とその方々の行いや言葉)があり過ぎて記録するのに追い付けません。ありがたいことです、本当にありがたいことです。