2008年2月18日月曜日

家族哀愁

先週日本の母と父の元へ手紙を送った、こちらの暮らしの写真を添えて。その夜、父の夢をみた。私がQちゃんを大声で怒鳴りちらし、彼の所持品も床に叩きつける自分でも恥しい夢だ。

夢の中荒れ狂う娘に呆れた父が「もういい加減にしなさい。そうじゃないとお父さん、心臓が痛くなって死んでしまう」と肩を落として、小さくなった父がか細声で私を宥めた夢だ。

目が覚めた。ドキッとした。 父はすでに2回も心筋梗塞で手術を受けている。 そんな父を待っていたのは、母の看病だった。

次の夜ベットで森鴎外の「雁」を読んでいたQちゃんに「昨日、私怒ってなかった、Qちゃんに」昨日の夢のことを話す。

読みかけのページに栞を挟んで本を閉じたQちゃんが「そうだったな。 怒ってた」私を見てニヤリとした。

私は怒っている夢を見ると、夢の中での言葉(罵り)を布団の中でも同時に発するらしい。隣にいるQちゃんも結婚当初は「大丈夫か?」と心配をして揺り起こして 夢の中から救助してくれたが、最近ではもう「いつものあれだね」とそのまま私を夢の中に閉じ込めたままにしている。

目が覚めて「現実と夢の区別」がつかなくて、何もなかったように平然と隣で眠ているQちゃんを(本当に何もないのだからそれが自然なのだが)責めたことも過去にある。 2度だけだ、いや1度だけだ。

いつものことだと笑っていればいいのだが、父の最後の言葉が黒いカーテンのように私の前に垂れ下がっている。 電話をしてみよう。

電話を掛ける時間はたっぷりある。パソコンを打つ前に受話器を上げればいいだけだ。なのにできない。晩ご飯の玄米を炊いている間に電話を掛ければいい、 なのにしない。母の様態が悪化しているという報告を父から聞きたくないのだろう、父へ電話を掛けるのが無意識に怖いのだ。

数日が過ぎた、まだ父へは電話をしていない。奥歯に食べかすがひっかかってとれないような気持ちだ。 爪楊枝でとれば直ぐに解決することなのに。

次の日仕事から帰って私服に着替えてから父へ電話をかけた。手紙をポストに入れてから5日ほど過ぎていた。

「はい、もしもし、、、」父の声だ。

「お父さん?」それだけで「あ~、NANAか! どうした、元気か」滅多に電話をしない娘の声に敏感なのかすぐに反応する父。 少し嬉しかったりする。

父はバレンタインデーに病棟にいる母へチョコレートをもっていってあげたらしい。母が大変喜んだ様子を嬉しそうに話す。 病院から帰ると手紙が届いていたと父はいった。

来月東京と神奈川にいる姉が二人で青森に来るらしい。「心配してこなくてもいいといったんだけどね、、、」少し黙り込むが嬉しいに決まっている。

「おい、お前とQちゃんも来るか? チケット代は出してやるから、二人でこい」前述した言葉とは裏腹で本音を云う父。

このあり難い言葉を聞くのは何度目だろう。その度に言い訳をして「今回はいけない」と応える自分。 きっと父はこの言葉を受話器の向うでいい続けるだろう、父に会いに行くまでは。 父に会えるのだろうか、母に会えるのだろうか。

もしかしたら会いたくないのかもしれない。

Qちゃんが家に帰ってきた。今夜はバハイ教活動でお出かけだ。 晩ご飯を食べ終えてローカルニュースを聞いている。タイ風ココナッツカレー春雨

Qちゃんに父のこと、母の様態のことを話す。 Qちゃんの毎日の祈りに二人は含まれている。

時が解決してくれる、時しか解決してくれない。 じっとしていよう。 このまま、ここでじっと。