2008年5月31日土曜日

本立て

私は整理整頓するのが得意ではない。

去年出した書類が床に横になっているままだ。

「ファイル」というものを知ったのは18才の大学のブックストアだった。

16年前の春のキャンパス。

受講しているクラスのペーパーやノートがあまりにもバラバラで整理ができていない私を見兼ねて、Qちゃんが私をブックストアに連れて行き「これがファイル、 これがファインダー、 これがルースペーパー」と手とり足どり「授業のファイルの仕方」を教えてくれた。

あの時からQちゃんは「将来私のお世話をする人」になる運命だったのかもしれない。

Qちゃんサイドから言わせると「この人、この先大丈夫かな? アメリカの大学で生き残っていけるかな? なんだか危なっかしくてほっておけないよ」という親心が「ピーピー鳴いて強がるひよこ」を見ているうちに生まれていたのだろうか。

今でもQちゃんは「実の親」よりも「親」らしい。 私を「女の子」として扱うことがある。馬鹿にされているように思うことがあるが、事実彼から教えてもらうことは毎日ある。彼は博学多識だ。

Qちゃんは全般的に「きちん」としている。 スケジュール帳も、財布も、アドレス帳も「きちん」としている。

Qちゃんは小さい紙に「1時間の講義」を箇所にしてメモできる人間だ。私は3枚の紙があっても足りないくらい「頭の中でも」整理ができない人間だ。

それでも「あの野蛮な時」に比べたら、今では重要書類をファイルにしたり、アドレス帳を書いたり、請求書を払ったり、家計簿を付けたりするようになった。

籍を入れた翌日から旦那様が「これからは君の役割だよ」と私を仕込んでくれたお陰だ。

最近は「君の役割」も「僕の役割」になりつつある。目的が同じなら「誰の役割」でもいい、 今の二人はそう思うのだ。

このアパートに住んでからあれだけ物を持たないようにしているのにまだ整理ができていない。 本や書類やメモ用紙やら、あれこれと散らばっていて何やら頭が痛くなりそうだ。

だから私はセカンドショップに時々足を運んでオーガナイザー道具が安く手に入るのを狙っている。

先月仕事のボスさんに「捨てるなら是非下さい!」と頼んだものがあった。

仕事のボスさんは「これ? いいよ」とあっさりと許可をしてくれた。アスパラガスが入っていた木箱。横がコルクになってるし、文字もお洒落。 さっそく部屋の片隅でバラバラに置かれている本を集めて本立てにする。少しはスッキリしたかな。

晩ご飯も野菜を一杯食べて胃腸をスッキリさせましょう!野菜タップリ千切りサラダ(キャベツ、人参、玉葱、西瓜の皮、セロリ、若芽)
卵と法蓮草と若芽の炒めもの
玄米

Qちゃんは16年前に出逢った時から「私のアメリカンライフ/英語のプライベートテューター」になった。

もちろんお金は払っていない。

私がアメリカの大学を(一応)優秀な成績で卒業できたのは「Qちゃんが宿題のレポートの文法を添削してくれた」お陰だ。

これからも彼には助けてもらうことがたくさんあるだろう。

そのお返しに「彼のいつでも安らぎを保証できる人」であるように私は努力をしていくだろう。

2008年5月30日金曜日

今日はすこし「タイムレス」

いってらっしゃい! Qちゃんが出勤するお見送りついでにゴミ捨てにいこう。
かっこいい、Qちゃん。 ジーンズ姿のQちゃんを見ると「アメリカ人の特権よね」っていつも思うのは私は足が太くて短いから? ちなみに「Qちゃんの浴衣で胸がちらりのあぐら姿」はすごくセクシーですって朝から色情丸出しの私。もうすぐ6月だ。 アパートもこんな奇麗な花園になりました。 トントンと階段を下りる。

お腹が空いてきたぞ。軽い朝食をとろうか。ならばトーストの替りにトルティーアだね。残りの中華野菜と卵とチーズだけのもの。

明日、 ジョディスおばあちゃんがアパートのメインテナンスの点検と確認に来るんだったな。 じゃ、少し部屋を掃除しておこうか。えっと、メモ用紙と鉛筆、、、修理が必要な場所のリストも書いて残しておこう。ひまわりさんからもらったミントでミントティーを作ろうか。 大好きな本を読みながら私をリラックス。洗濯ものを畳もうか。昨日からランドリーにいれたままだった。

生理だったからか、お腹は空いてないのに食欲がある。それは言い訳だって? 少し早いけど一人ランチにしよう。豚の出し汁に青葱、サランチョラ、玉葱を沢山いれてコーントルティーアを契っていれる。 おいしいコーントルティアースープの出来上がり。遅いシャワーを浴びようか。今日はユックリ時間が過ぎていく。石鹸がもう切れる。 Qちゃんが新しい石鹸を用意してくれていた。

時間をかけて丁寧にシャーワーを浴びてからシャワーカーテンを開けると蜘蛛がノソノソと壁を歩いている。蜘蛛さん、あなた達って「時間に追われない生活」をしているんでしょう? 今日の私も「すこしだけ時間に追われない」経験をしているみたい。時間なんてない。私はそのままベットにダイビング。

「ハニーちゃん、ただいま」遠くでQちゃんの声が聞こえた。

犬のようにピクッと反応して顔を布団から出すとQちゃんがそこに立っていた。

また「時計の針で動くくらし」が戻ったようだ。「Qちゃんの存在という単位」で私は暮らしている。

今はそれでもいいと思う、今はそれで居心地が好いのだから。今の私にはQちゃんと二人で過ごせることがとても貴重だから。

Qちゃん、お腹空いてる? 晩ご飯は何も準備してないから何か勝手に食べてて。

昼寝をしたから余分なエネルギー有り余っちゃった。明日のお弁当にメキシカンラザニアを焼いちゃうほどだもん! 香ばしくて、焼け具合もいいじゃない。Qちゃん、明日のお弁当作っておいたからね。えっ、もう寝るの? 私はまだ眠れないわ。本でも読もうかな。

2008年5月29日木曜日

ヤクルトのつもりなんでしょう?

日本製のものは上質だというイメージがあるよ。車でも、時計でも、料理でもそうだもんね。

だからって何でもかんでも日本メーカーの名前を真似するのはズルイんじゃないの? あんたの名前「ya kool (ヤークル)」。 それはヤクルトの真似じゃないの?
ま、旨ければどうでもいいけど。私の好きな「苺味でピンク」だし。そうね、 滑らかさや色もヤクルトと同じだわね。合格、合格。これじゃ「ヤクルト」でも「ヤークル」でも同じだね。喉が癒されました。

今晩も西瓜の皮を入れてタヒニチキンカレーといたしましょう。タヒニはピーナッツソースやココナッツミルクの代用になるペースト。タイカレーみたいな濃厚なカレーに仕上りました。 これはQちゃんも唸る絶品カレーだね。 明日の二人のお弁当はタヒニチキンカレーで決まり!

おやすみなさい。明日もまたお仕事です。

2008年5月28日水曜日

Martin Yan

料理好きな私は料理番組を見るのが好きだ。 日本ではキューピー3分クッキングを始め料理番組は必ず見ていた。

ハワイでは普段は大学に通い週末はアルバイトをしていた。 そのバイトが終り家に帰るころには調度夕食時でその時間に合わせて料理番組が放送されていた。

ハワイで私が好んだ料理番組は言うまでもないが「サムチョイ氏のアロハ料理」だ。

アロハ醤油がスポンサーだからいつも「アロハ醤油」を使用した料理が紹介される。

チョイ氏は油を使う料理をよく作っていたが「ハワイ食文化の表れだ」といつも画面を眺めていた。それに彼は最後に食用華を散らすテクニックをいつも披露していた。私は彼の料理をテレビで見るだけで1度も挑戦したことはない。

その他に忘れないで見ていた料理番組は中国人Martin Yan氏の番組だ。

彼はとても名高いシェフで中華レシピの本もいくつも出版している。彼は食材知識もあるが彼の中華包丁を操る動きや巧みな口調が人気番組の秘訣だ

私は彼の番組の虜になって土曜の夕方仕事から帰ると他の番組を見ているQちゃんからリモートを取り上げて画面のYan氏に釘付けだ。

サムチョイ氏の番組のようにYan氏の料理を例して作ったことはない。 しかしアイデアを借りて応用したことはある。

オレゴンに来てから地元料理番組を見たけれど「どうも私好味ではない」。 それから料理番組を探るのを止めた。

先月仕事がオフだったため洗濯を畳むついでにテレビでも見ようとテレビのチャンネルを入れ替わり見ていたらなんとMartin Yan氏が写っているではないか!お久し振りです。いつ拝見してもお元気そうですね。 師匠は魚をさばいています。 蒸し魚料理を作っているようです。
そろそろ蒸し上がったようです。 蒸された魚にソースをかける。 レモンやトマトを添えて出来上がり。

Qちゃんと私、それにペー君にも Martin Yan は特別な存在なのだ。 そんな尊敬すべき Yan氏の生い立ち を調べてみたら、、、なんと奥様は日本人でした。 さすが日本人妻、御主人の成功を裏で支えていたのでしょうか?

では家の晩ご飯は何にしましょうか。

西瓜の皮、西瓜の皮で作れるもの。 そうだ!フィリピン料理のポークアドボにしよう。簡単、 簡単。 ぶつ切りポーク、 大蒜、 生姜、 西瓜の皮を炊飯器に入れるだけ!お酢が決め手のアドボ。お部屋の中に甘酢っぱい匂いがしてきたぞ。ポークアドボと西瓜の皮の煮物
ケールの煮物
芽キャベツ
ブロッコリー
ひえ

今夜の夕食のアドボ、マーチン師匠の料理にだって負けないほどの自信作でした。御馳走様でした。

2008年5月27日火曜日

「働く人」- 3時間目社会科

小学校の社会課の時間に週1度教育テレビの「働く人」という番組を先生が見せてくれた。

その番組は毎回自分の街で働く人を観察するという番組だった。毎回違う職業を紹介されて子供達はあとで感想を書いて先生に提出をするという授業の流れだった。

勉強が好きではない児童だった私は「なぜ先生がそんなテレビを見せるのか」把握していなかった。

自分が先生になる立場になってからレッスンプランには生徒に学びとってほしいという先生なりの学習ゴールがあることを知り、今となって「あの先生の意図」が判るようになった。

私は知らないことが多過ぎる。先生をしていると生徒からあたかも全て知っているかのように求められる。先生ほど「実は世間知らずの職業ではないのか」というと叱られそうだが「私はそうであった」。

一人で歩いていると自分を見つめることができる。 過去のこと、昨日のこと、今夜の夕食のこと、明日のこと、来月のこと。

誰にも邪魔されない私の時間。 誰にも批判されない私の意見。誰にも呼び止められることのない新緑の道。誰にも形つけられることのない私。一人歩きをすると「私が私であること」を知る。

道の向う側を見上げると「働く人」がいる。社会には数え切れない程の仕事(役割)があり、 皆それぞれ「その所属」で貢献している。今カメラを片手に散歩をする人もいれば、その人の頭上で仕事をしている人もいる。この人達は家主の手が届かない高木の技をトリミングしている。家主のニーズに貢献している。

金にはならないことだが、通りすがりの私のフォト撮影に彼らは笑顔で協力をしてくれる。

私のニーズに貢献してくれた。

人間ってあたたかい。人ってあたたかい。 まるで今朝の太陽のあたたかさみたいに。

晩ご飯: 西瓜の皮で即席キムチを作る。すぐに漬かるから夕食には食べられるだろう。高菜ご飯
西瓜の皮のキムチ
西瓜の皮の味噌汁
コーン
ヤム芋
目玉焼き
サラダ

西瓜の皮は瓜料理の替りになるから経済的なの。Qちゃん、西瓜の皮は捨てないで取っておいてね。

2008年5月26日月曜日

今年もまた-西瓜ステーキ

Qちゃん、 そろそろ来るね。 Qちゃんの西瓜の季節が。2008年、初の西瓜さん第一号。「一朗」君です。ハンサムなお顔にナイフを入れるのは惨酷だけど、Qちゃんは西瓜が好きなの。「痛い!」って声が聞こえてきそう。許してね。

晩ご飯:西瓜ステーキ

Qちゃん、 晩ご飯ほかにも何か作ろうか?

2008年5月25日日曜日

12年振りだね。

どんなに月日や距離が離れていても再会すると「1年前と変わらない」気がする人間がいる。それを私は「貴重な友達」と呼ぶ。そして「貴重な友達」はとても少ない。

けれど私は淋しくない。どうでもいい「知り合い」と年に数回顔を会わせるよりも「貴重な友達」とメールで数回会話を交すだけで心が満たされるのだ。

けんじくん。彼は「貴重な友達」だ。

18才でアイダホの大学で彼に出逢った。この出会いなくして「アメリカの今の私」は存在しない。 私の人生がここまで来るには「けんじくんの存在は必然的」だったと思う。

結婚してからたくさんの人間と連絡が途切れた。私は「出会い」や「再会」を天に委ねることにした。

今年ミクシーでけんじくんと12年振りに再会した。彼は仕事でシアトル勤務になったのだ。 私は驚かなかった。

彼が住むシアトルと私が住むポートランド。車で4時間、飛行機で1時間。再会は確実だ。あとは時間の問題だ。

けんじくんとは「縁が切れる」ということはない。ここ12年以上私の頭のどこかでそんな予感がしていた。だから連絡が取れなくても平気だった。そんな強気な私がいつも存在していた。

昨日の朝けんじくんからメールが届いていた。

「今週末ポートランドに行くから会えたらいいな」というものだ。 さっそく残されていた彼の携帯に電話をした。彼のボイスメールに英語でメッセージと私の電話番号を残して仕事に出た。

「今の私」は例え相手が日本人であっても日本語より簡単な英語の方が口から出てくる。その方が便利で都合がいい。最早私の日常会話は日本でいうと「ルー大柴さんの言葉」のような響きなのだろう。そして「私の貴重な友達」は皆そんな私をナチュラルに受け止めてくれる。

「青い鳥」はどこかの童話で「幸福の鳥」だと呼ばれていた記憶がある。 あれは本当なのだろうか。

けんじくんからのメールが届いた昨日の朝。仕事に行く途中私は木に止まっている「青い鳥」を目にした。その日の仕事帰りにも「青い鳥」がどこからか飛んできて通りすがりの木に止まった。

そして今朝の出勤途中も「青い鳥」が木の上から私を見下げていた。今日も帰宅する道で「この再会の機会を逃すな。きっと幸福を運んでくれるから」とまるで予言しているかのように「青い鳥」が低木に止まって急いで帰宅する私を静に見守っていた。

アパートに着くとQちゃんに「ただいま」といわないで「けんじくんから連絡はあった?」ときいた。

「もちろん!2回も電話があったよ!」とQちゃんが答えてくれた。

私が仕事をしている間にけんじくんと彼の友人家族とQちゃんの間で今夜の「12年振りの再会計画」が練られていた。

私はシャワーを浴びて仕事の汗を軽く流した。胸が弾む。あのけんじくんが、すぐそこにいる。 私の心は一足早く彼に再会していた。

待合せの場所でけんじくんが立っていた。 直ぐに「彼だ」と判った。彼はあの時のままだった。 言葉どうり「あの時のまま」だった。

けんじくんがポートランドで泊まっている友人宅はよしやすくん。 彼のメールにそう書かれていた。

よしやすくん? 誰だろう? 私の知っている人? 15年前のことだもの。すでに名前だけでは想い出せない人物になっている。

「会うと思い出すよ」昨日電話でけんじくんが昔のままの少し低くこもった声で私にそう言ったのを思い出す。

けんじくんのいったとうりだった。よしやすくんを一目みて「あのよしやすくんだ!」と薄れていた大学時代の記憶細胞がピリピリと動きだした。

けんじくんも全然かわっていないけど、よしやすくんもかわっていない! あの時の面影がくっきり残っている。

変わったといえばよしやすくんが「子煩悩なパパになっていた」こと。だけど「ユーモアとオトボケをしてくれるセンス」はあの時のままだ。嬉しかった。

再会の幕が開かれた。

皆で歩いていけるすぐそこのインド料理レストランで軽いディナーをとることにした。

それぞれオーダーをとり料理がテーブルに運ばれるまで15年前のキャンパスに戻り話を弾ませた。テーブルにいる彼らは私の青春の同期生で「あの頃の自分」を思い出す。キーマカレーのアラカルト。小麦のかわりに豆粉を発酵して作られた南印度料理のクレープ「ドーサ」をQちゃんがオーダー。ドーサは長さ20 cm はある!中にはスパイスのきいたじゃが芋が入っている。ピリッとしたスープにドーサを付けて食べる。 うん、始めての味。 おいしい。茄子のカレーアラカルト。

弾む話で写真は取れなかったけどベジタブルサモサなどの前菜も皆でつつきあう。

お腹に印度料理が通過していくからか、それとも「貴重な友達との再会」に感激しているからか? 私の体は熱くカッカカッカしている。

はい、時間です。 忘れる前にブログの写真撮影です。けんじくんと私。お酒が入っていないのにどうしてこんな馬鹿丸出しの顔をしているの私? 嬉し過ぎてハイテンションになっていたのかしら。Qちゃんと写真を取ってもこんなにいい顔はできないよ私。 Qちゃん、この可愛い男の子。 誰の子供なのよ。 まさか、ノースウエストの「隠し子」じゃないでしょうね? よく笑う子は周りを笑顔にしてくれます。親がよく笑うと、子もよく笑う。これは大切なことよね。あっぱれ!よしやすくん御夫婦。 相棒のひろしくんといつも大きなアメ車の前に立っていたよしやすくん。 白いティーシャツ、 ジーンズ、ブーツ姿がトレードマークだったよしやすくん。当時「近ずいてはいけない男の匂いがした(笑)」よしやすくん。 そんな彼がこんな可愛いい子供を「お行儀が悪いでしょう!」と叱っている姿。15年前のあの大学構内で誰が予想できただろうか?
それに、よしやすくんの奥さん。 日本語が堪能! すばらしい!子供に日本語で仕付をしていました。 ねえ、よしやすくん。 あなた、どこで、どうして、どうやって、こんなに知的で素敵な奥様と美しい2児をもつパパになったのよ? 驚いたわよ!満足、 満足の幸せな夜でした。

「青い鳥」は「幸せの鳥」。 童話ではなくて実話なのかもしれない。

この日、私はよしやすくんからアイダホを離れてから連絡が途切れていた「大切な人々」の近況を得ることができた。

さっそくこのブログを掲載したことをけんじくんとよしやすくんに報告して、 音信不通だった大切な人達の連絡先を聞いて彼らにメールしてみよう。 驚くだろうな、きっと。けんじくん、 よしやすくん、 会いにきてくれてありがとう。 素敵な人に会える。また会えるまで頑張れそうです。