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2008年10月18日土曜日

かもめ

かもめが一羽。

海がないのにかもめが一羽。

かもめは何を見ているのかな。

何が見えるのかな。

何を考えているのかな。

家族はいるのかな。

今夜帰るところはあるのかな。

そこには羽根を温め合う相手はいるのかな。

海がないのにかもめが一羽。

いつになったら海に帰るのか。

かもめを見上げた足をまた動かして家に帰った。

ひまわりさんから赤飯をもらった。 赤飯を食べるなんて何年振りだろう。 愛でたいことはここずっとないから赤飯なんて炊いてないもんな。「祝い」とか「記念日」とかそういう「いつもより5センチ上の日」みたいな印。

「花束を送る」とか「レストランに食事に行く」とかそういう「いつもとは少し女らしくなれる日」みたいなこと。

すっかり生活の中から消えている。

時にはこういういつもと少し違う演出をしてみるのも生活のスパイスになっていいのかもしれないな。

退屈な女だな、わたし。

2008年10月17日金曜日

どっこいしょ。

ぐうたらさんの私の口癖はどっこいしょ。何かをするとき自分で気合を入れないとしないからだ。

アパートの中を見渡すとあらららららっ。人から頂いた観用植物がわんさか増えていた。

元気パワーをくれるプランツ君や生活がしやすい家具用品。 親切なオレゴニアンさんが少しずつ揃えてくれたお蔭で2年前は殺風景だったこのアパートも家らしくなった。

私は「自分に合っていないもの」を側においておくと落ち着かない。

例えば赤いリボンをしている毛のフカフカしたマルチーズ犬が側にいると不自然に感じる。毛が短くてすこし汚れた頭の悪そうな雑種を連れている方が私らしくて安心する。

要するに自分のセルフイメージが低いのだ。

仕合わせさんがくれたモンテラスがこのアパートにはあまりにも素晴らし過ぎて狼狽してしまう。

そこで私は根分けをしていつもお世話になっているオレゴニアンに元気なモンテラス君を養子に出すことにした。

皆さん喜んでくれたので私もほっと一安心だった。

しかし、ほっとしたのも束の間。

根分けをしたのはいいが、仕合わせさんがくれたあんなに素敵で優雅なモンテラス。

欲張りといわれようが全てを手放すことはできない。私は自分で管理できるぶんを自分の部屋に残しておいた。

「来週のオフの日にアパートのモンテラスを大きな鉢植えに植え替えをしよう」

その言葉を何度も何度も自分の胸内で繰り返し事を運ばないままついに1ヵ月以上が過ぎた。

先先週のオフの朝「今日こそは『モンテラス企画』を実行するんだ!」と出勤前のQちゃんに胸をはって私は宣言した。 だがそのオフの日は丸1日中だらだらと過ごした。

今週になって部屋のモンテラスが哀しそうに私を見つめているような気がしてならない。

歩いて10分もしないホームセンターでパーライトを買ってくればすむことなのだ。なのに「今日は寒いから」とアパートで丸くなっている。

「ななちゃんのモンテラスプロジェクトはどうなった?」ある夜Qちゃんが秋夜のコウロギのような声でソファーで雑誌を読んでいる私にそっと聞いてきた。

別にQちゃんは咎めているわけではないが自分に非があるという後ろめたさがある私には『あのモンテラスの葉はだんだん枯れてきているよ。 ななはレイジーだな。いつになったら処理をするんだい?』といわれているようにきこえる。

すると自分でも驚く程の言い訳がましい「でなくてもいい攻撃」に出ていた。

「このモンテラスは大きくて重いからどうしても横に広がるの。だから上に伸びるようにしっかりとした支え棒が必要なの。それがない限り企画は実行したくてもできないの。Qちゃんが車で買物に連れていってくれれば都合がいいんだけど」

もともとQちゃんは喧嘩ごしではなかったせいか私の攻撃をあっさりと交した。

「それなら僕が調達してあげるよ。いいアイデアがあるんだ」Qちゃんはそういってその夜寝室に消えた。先週のことだ。

モンテラスは誰にも(誰にもっていうけど私だけじゃないか!)世話をされないまま狭い鉢植えで辛抱強く座っていた。

先日甥のモエリカのアメフト試合の応援に行ったQちゃん。

家に帰って来るなり「悪い知らせと良い知らせがあるんだ。どっちから聞きたい」と息を切らして私にきいてきた。

私は嫌いなものを最初に食べて好きなものを最後まで残しておくタイプだ。悪い知らせから聞くことにした。

「デジカメの鞄を首から下げてタカンガと芝生で相撲をしていた僕が馬鹿だった。予備の電池をグランドに落としてなくしてしまったんだ。 捜したんだけど見つからなかったんだ。ごめんよ。家にはもう予備の電池はないよね?」なんだ、そんなことか。 Qちゃんすまなそうな顔をしているから許してあげる。じゃ今度は良い知らせを聞かせてよ。

私が失くした電池をすんなりと諦めたので胸を撫で下ろしたのかQちゃんは「ちょっと待っててね」と軽い足取りでアパートを出て行った。

どうも「良い知らせ」はタイミングが来るまで温和しく車の中で待機しているようだ。

Qちゃんが息を切らせながらアスファルトのアパートの階段を登ってくる。

そのリズミカルな足音からQちゃんはかなり上機嫌のようだ。本当に「良い知らせ」を連れてきたのだろうか。 少し期待で胸が膨らむ。

なにやら玄関の外でザワザワと音がしている。

どうやらQちゃんと「良い知らせ」はドアの向うで互いに手間取っているようだ。

なにをしているのだろう。ドアの向うで二人はゴソゴソ、ガサガサと音を立てている。

ここで「大丈夫?」と優しく声を掛けてドアを開けてあげればいいのだが、Qちゃんを救助するかわりに私は自分の用足しに行った。自分の体の欲求を優先した。

スッキリしてバスルームから出てくると「良い知らせ」が我物のような顔で人の家の床に寝そべっていた。なんとも図々しい客である。「これで自分の妻がモンテラス企画を実行できて喜ぶに違いない」とQちゃんは疑わなかったのだろう。

じゃなければ渋滞ラッシュの高速道路を「こんな図体のでかい奴」と一緒に狭い車でポートランドからアパートまで運転してくるわけがない。

運転席のQちゃんにモッサモッサと笹がチョツカイを掛けている。そしてQちゃんはその手を何度も押し避けている。

そんな所を想像すると「あんまり嬉しくない」とはQちゃんにいえない。Qちゃん、気持はとっても嬉しいのよ (実はあんまり嬉しくない)。 本当よ(ななさんの嘘つきっ!)。 けどね、このお客さん。今夜はここでお泊まりなのよね? なんだか狭いアパートにますます足元がなくて「歓迎できない急な客」って感じかしら。

その夜「歓迎されない客」は大胆にも裸のままリビングで眠ったようだ。

翌朝目を覚ました。暗闇のリビングで足元に触れるものがあった。 ぎょっとした!あの歓迎されない客だ!

電気をつけるとまるで二日酔でぐったりしているような姿で横になっている。酒のかわりに懐かしい笹寿司の乾いた笹の匂いをほのかに漂わせている。

その日私は意識のない客をそのまま床に放置して仕事に出掛けた。Qちゃんが彼女の看病をしてくれることを願ってそのままにして置いた。

Qちゃんも私もこの歓迎されない客を放置したまま2日が過ぎた。言葉を交さないがお互いに「相手が処理をしてくれる」と思っているのだ。

通常私の方がQちゃんより早く帰宅する。

家に帰ってきて目の前にこのぐったりした竹が倒れていたらどんなに怠け者の私でも「どっこいしょ」と気合を入れて「何らかの行動」に出るだろう。

私はジャケットをはおって$10を握りしめてホームセンターに出向いた。そしてパーライトを肩に背負って家に帰ってきた。どっこいしょ。 ついに植え替えの時がきた。待たせてごめんよ、モンテラス。モンテラス、 本で読んだけど君は水はけのよい土が適切な環境なんだってね。居心地のよいベットを作ってあげますからね。

Qちゃんの連れてきた「歓迎されない客」も笹を切りとってあげたらさっぱりしたじゃないの。 こしてみるとあんた、細っそり綺麗じゃないの。どっこいしょ。 はいはい、 モンテラス。 新しい広いベットはどうですか? パーサイトが入っているから羽根布団みたいで軽くて気持ちいいでしょう?序だからジェファーからもらったジャスミンの木も植えかえしましょう。グングン育ってるもんね。去年の誕生日にとしさんから頂いた蘭兄弟。 調子をこいて根分けをしたのはいいけれど、、、かなり深刻な状態になってしまいました。 新しい新居に移したけれど大丈夫かな。しばらくベットで安静にしていて下さい。

ここまでするとどっと疲れた。普段ゴロゴロリンと怠けているせいだ。 Qちゃんが帰ってくるまで時間があるな。 今日は何を作ろうか。

晩ご飯:豚肉とズッキーニーの炒めもの
萌しと若芽のナムル
玄米
揚げの味噌汁

さっぱりした和食が食べたいのはどうしてだ。 秋だから? シンプルで素早くできる晩ご飯。 今日もありがとう、 明日もありがとう。

2008年10月15日水曜日

お父さんとお母さんへ

メールを開くと千寛ちゃんからのメッセージ。

「明日お父さんとお母さんが東京に来るのでよかったら、 ⑦と⑨の写真をブログに載せてよ。 私のパソコンで見せてあげるから」

千寛ちゃんはいつもこうだ。 自分のことより家族のことを一番に考える人。

昔は3姉妹の中間であるために「我がまま」とか「自己中心」とか「甘え上手で必ず欲しいものを手に入れる調子の良いお姉ちゃん」などと1歳年上の千寛ちゃんを見てブーブー文句をいっていた頃もあった。

しかし大人となって社会に出てみて判ったのだが「千寛ちゃんタイプの女性」は男にとって「ズル賢いがどこか目が離せない魅力の女」なのかもしれない。

要するに自分の意志が明らかでコミニケーションがディレクトなので男には分かり易いのだ。(女には強過ぎるのかもしれないが。)

しかし言ってみれば「自分を持っている女」でもある。

この点は私も譲らないほどの「自我」がある。そして人生チャランポランに暮らしている自分を私は結構嫌いではない。

今日職場でシアトルにファックスを送信するときに気がついた。

10月15日。

今日は千寛ちゃんの誕生日だ。

アメリカからプレゼントを送ったり、誕生日カードを東京まで送るなんて可愛いことをする妹ではない。 それは彼女も「私という人物」を知っているから頼みもしないし望んでもいないだろう。

いつもお世話になっている千寛ちゃん。あなたの誕生日なのでご要望通りに「Qちゃんと私のオレゴンでのホンワカ夜の過ごしかた」というタイトル写真をお父さんとお母さんへのメッセージとして以下載せておきます。


お父さんとお母さんへ

2年前の青森での初夏を思う存分家族3人で暮らせてとても愉しかったです。

あの充電期間があってお父さんやお母さんがいっていたように「Qちゃんが暮らし易い家庭環境」を第一に考えて暮らせるようになりました。

言わなくても判っていると思いますがQちゃんは相変わらず誠実で優しい私にはもったいない旦那さまです。毎日大切にしてくれます。

私も彼を大切にしているつもりです。 (パソコン前に座る私にソファーで投げキッスをしているので多分私との暮らしに満足しているだろう。)

変わったことといえば私もまた働き始めたのでQちゃんがオフの日はご飯を作って待っててくれることかな。

Qちゃんはラニママやブルークスパパが子供の頃からよく仕付ておいてくれたので私よりも掃除や洗濯が上手なので助かります。 料理だけが私の得意分野なので毎晩私が愛情料理を作っています。

今日はQちゃんの仕事がお休みでした。

私が仕事から家に帰るととってもいい匂がアパートを包み込んでいました。炊飯器の上の蒸し器にはとうもろこし。 Qちゃんの大好きなヤムというオレンジ色の甘い芋。

これはアメリカではよく食べられる芋です。 金沢でよくお母さんとQちゃんと薩摩芋を食べていましたね。 Qちゃんはそれほど甘い芋が好きなんです。Qちゃんは子供のように悪戯好きです。お母さん、覚えていますか? そこがまた可愛いのですが。私がいないと思ったのか早速とうもろこしをかじっています。 隣で目を大きくしたリスのような顔でクスクスと笑っています。Qちゃんのお料理18番はいつもこれ! レンズ豆とレーズンとチキンを玄米に入れて炊き込むんです。 これがなかなか美味しいから不思議です。 Qちゃんは今でも食事はヘルシーです。Qちゃん手作りの少し早めの晩ご飯です。

食事が済んだら二人で30分の散歩をします。

最近は寒いことを言い訳に散歩を怠っていました。だけれど今日は20分だけ二人で散歩をしました。

「散歩の替りにお部屋で30分エアロビックスをしようか」とQちゃんがこの前私にいいました。

「お母さんと僕とななちゃんでエアロビックスをしていたこともあったね」と金沢での昔話もよくしています。

こないだまで布団をかけずに眠っていたのに、今では布団から出るのに気合を入れなければいけない程寒くなりました。散歩から帰って体を温めるにはスープに限ります。

Qちゃんの好きなレンズ豆にたくさんのタマニギと卵、それに米粉麺を入れて即席スープを食べました。

覚えていますか。

2年前にお父さんとお母さんの家の居間にあった「ガラスの夫婦鳥」。

今まで連れ添ってきたお父さんとお母さんの夫婦の象徴のように思えてなりませんでした。

2ヵ月後お父さんとお母さんの巣から娘の私はオレゴン州で待っているQちゃんの元に再び飛んで行きました。私はこの夫婦鳥を胸にQちゃんの元に戻りました。

あれから「ガラスの夫婦鳥」は「私とQちゃんの夫婦の象徴」になりました。

私が一番苦しんでいた頃励ましてくれたハワイのじゅんさんともメールで連絡できます。

ここオレゴンに移ってからも親切にしてくれる人達は不思議といるものです。

言葉ではいいつくせない程の人の優しさ。 私は素晴らしい人に助けられて暮らしています。ひまわりさんから頂いたセーター。 彼女の人柄のようにとても暖かい。このセーターを着るのが大好きなんです。 お父さんとお母さんへの特別な夜なのでひまわりさんからのセーターを着てみました。それにこのテーブルと椅子。いつも可愛いがってくれるとしさんから頂きました。

お父さんとお母さんへの手紙にもよく書いてましたがオレゴンではひまわりさんととしさんには本当にお世話になっています。

尊敬できる人生の先輩がいるというのはなんと幸福な環境にいるのだろうかと思えてなりません。

ここ1年でお父さんとお母さんの生活にいろいろなことがありました。

「老い」とは皆避けることはできないのですか、お父さんとお母さんが弱くなっていく姿を見るのか恐い自分が存在するようになりました。

もう34歳ですから「何を子供のようなくだらんことを言って!」と怒れても当然です。

お父さんとお母さんの体が小さく見えるにつれて「もう濱田の娘ではなくて、Qちゃんの妻として生きる時がきたな」と今年に入って私は深刻に考えるようになりました。

13年前にQちゃんと結婚をした頃はアメリカ国籍を取ることは全く考えていませんでした。

いつか自分の両親がいる祖国日本に帰るかもしれないという気持がどこかにあったのかもしれません。

しかしQちゃんとオレゴンでゼロからやり直してその気持ちが失せてしまったのです。

「この人といっしょに暮らしていきたい」と心から願うようになりました。 この人と同じ国籍を取りたいと思うようになりました。

それはお父さんとお母さんが「この人と死ぬまでいっしょに暮らしていきたい」と心から願うのときっと似ている感情だと思います。10月6日の帰化宣誓式でQちゃんに見守られながら私は「アメリカ国籍をもつ者」となりました。

今までは濱田の家の巣でぬくぬくしていたけれど、これからは本当にQちゃんと二人でアメリカで自分達の巣をぬくめていくと決心しました。

二人だけの小さい巣です。

だけど私にはとても暖かくてどこよりも安心できる巣なんです。

Qちゃんの側でこうして暮らせること、それは私がこの世に生まれてきた理由なのかもしれません。

お父さんとお母さん、今まで育ててくれてありがとう。 これからはQちゃんの片足になって生きていきたい。

また二人の間に辛いことが起こるかもしれません。

今度は自分で処理できるような自分に備えておきたい。

それでもきっと彼の元を離れることはないかもしれない。やっぱり彼の側にいたいから。

2008年10月6日月曜日

October 6th, 2008

西洋梨のQちゃんと東洋梨のななちゃん。 アイダホ州で16年前に出逢って、13年前に国際結婚をして、とうとうななちゃんは今日Qちゃんのお國の人となりました。「おめでとう。僕の國へようこそ。」 あなたの側にずっといたいから。だからあなたと同じ國の人になっちゃった。「そういってくれて嬉しいよ。」 16年たった今日、あなたのところにやっと海を越えてお嫁に来たかんじ。これであなたの腕以外に帰るところは私にはもうなくなっちゃった。「、、、、、、、」 あなたにファイナル コミットメントだね。寄り添えるあなたが居るからできたこと。 不束か者ですが、これからも側において下さい。


最後になりましたが帰化宣誓式での様子です。Qちゃん、 私なんだか恥しい。やだな~、 次はあたしの番だ。「おめでとう。」 ありがとうございます。戯けて舌を出してたら、Qちゃんに怒れた。今度は真面目な顔で撮影です。これからは死ぬまでQちゃんとアメリカで生きていきます。

Qちゃんと私は食後の散歩をした。

近くの公共ガーデンの誰もいないベンチで少し肌寒い秋風に運ばれた鳥と草の音を聞きながら「今までの16年間心にあったQちゃんとの結婚に対する気持ち」と「これからの結婚へのコミットメント」について帰化宣誓式を終えた私は心から溢れ出る感情をQちゃんに浴びせた。

黙って聞いているQちゃん。

Qちゃんにしても今日は「彼の心の中で何かが変わった日」に違いない。静かに空を眺めている。

Qちゃんが見上げる空を私も静かに眺めてみた。

それからQちゃんは何もいわないで大きな腕で力一杯私を抱き寄せた。

Qちゃんの腕の中はとても暖かくて力強かった。

それはこれから私といっしょに歩いていくという「Qちゃんの私へのファイナルコミットメント」だったのかもしれない。

私は2008年の10月6日にアメリカで生まれ変わって、そして同じ日にQちゃんと再び籍を入れた。

今度のコミットメントは「自分で選択」したのではなくて「状況が歩いてきた」ような気がする。私はただその機会に手を伸ばしただけだったような気がしてならない。

そんな気がする。そしてなんとも気分がいい。

2008年10月5日日曜日

今までの16年。

Qちゃん、月曜日の宣誓式は仕事は休めないよね? それならダウンタウンまでバスで一人で行くよ。

「いいよ、頼んでみる。 忘れないようにメモを僕の靴の中に入れておいてくれ」

「Ask Monday (月曜日の件、頼んでおいて)」簡単にメモを残し、私は仕事に出掛ける。

帰化面接のその日に宣誓式も終えることができると思っていたが、月曜日になってしまった。

その日は仕事が入っていたが試験官に「これは命令ですから必ず出席して下さい。なんなら会社宛てに手紙を書きますよ」と書類まで持たされた。

さっそく仕事に行って朝一番でそのことを報告してアレンジをする。

皆さん報告を聞いてハイファイブをしてくれたり、おめでとうの言葉で私は包まれた。

めでたいことなのだろうか。人生の節目なのだから、やはりめでたいのだろう。

家に帰りパソコンを開こうと椅子に座ると私が今朝Qちゃんに書き下ろしたメモがある。

Qちゃんの文法添削は久し振りだ。

私が書いた原文の「Ask Monday 」に「for 」と「off」が加えられて「Ask for Monday off 」とされている。

「やった!僕も2日間のオフがもらえたぞ」Qちゃんが書いたスマイルファイスも一緒だ。

思えばアメリカの大学を卒業できたのはQちゃんに英語文法を添削してもらったからだ。

アメリカの大学を侮ってはいけない。

結婚後仕事をしながら、言語学、教育学の文系を専攻した私はレポート、小論文、 感想文、インタビューリポート、評論文、ビジネス型式の簡単な依頼書、リサーチペーパー。

毎週必死になって書いて、書いて、書かされた!

ハワイのチャータースクールで教職/管理職をしていて毎晩ドップリと疲れて家に帰ってきたQちゃんに「猫撫で声」を体のどこからか絞り出して添削をよくねだった。

Qちゃんも多忙な毎日だった。彼が添削をしてくれる唯一の時間は「学校に行く前」だった。そういう暮らしが4年程続いた。

私は生まれた時から楽天主義なのかもしれない。

少しくらいスペルが間違っていても、文法の「at」と「in」を書き間違えていても教授も寛大に見てくれるだろうと呑気なことを言っていた。

しかし、そんなチンチクリンの私にQちゃんはとてつもなく厳しかった。

私のレポートに間違ったスペルを3つ見つけると「こんなんじゃ駄目だ。スペル点検をしてないだろう? スペル点検をもう1度してからもってきてくれないか」と私にそのレポートを手渡すのだ。

同じ文法の間違いを見つけると「真剣に取組んでくれたかい? そうとも見えないな」と厳しく言って「やり直し」とペーパーをその場で閉じて私の目の前につき返すのだ。

アメリカの大学レベルと英会話とでは相場が違うし、「書く方と読む方」も「話す方と聞く方」も期待する内容レベルが違うのだ。

これは「アメリカに旅行に来る」のと「アメリカに住むこと」は別な領域だという言葉に置き換えられる。

オレゴンに来てから仕事で日本語を話すことができるのですっかり英語の活字から遠退いた。

だけれども今の私はそんな「のんびりしたアメリカ暮らし」が好きだし、このスタイルを維持していきたい。

夜の成田空港からシアトル行きのフライトに一人で乗ったのが16年前の3月。

この16年、色々あったな。

この16年多くの出会いを経験して、私は今こんなに温かい風呂に体を浸らせている。アイダホ州ではけんじ君を初め、ハワイ州ではじゅんさんを初め、 ここオレゴン州ではとしさんやひまわりさんを初め、弱い自分を励ましてくれる力強い人生の先輩達が私が進むアメリカの地に与えられていた。そしてQちゃんがいた。彼は私にとって掛け替えのない人物だ。今迄の友達や、 此からの友達との出会いは「縁」だろうが、 Qちゃんとの出会いは「運命」だろう。

ふっと息を吐いて本を読むことにする。

最近よく目にする名前。人気のある作家らしい。読んでみると矢張り面白い。この本の中で主人公とその妻が仕事ですれ違いだんだんと感情が薄れていくのが描かれている。

台所に溜っていく汚れた食器を相手が洗ってくれるまで待つのだが、両者とも「仕事で疲れているのにどうして『自分』が洗わなければいけないのか」と相手への敵視した感情に徐々に変化していく。とうとう自分の使った食器しか洗わないという相手を配慮する気持ちがなくなる。

確かそんな設定だった。私とQちゃんにもこういう時期があった。ストーリーのような夫婦だった。危険信号だった。

彼の優しさを「弱さ」と思い、彼の辛抱強さを「頑固」と指摘したり、自分のことで手一杯で彼が見えなくなっていた。

彼もそう感じていたかもしれない。

本を読み終えていないから「この夫婦」の結末はどうなるのかまだ明らかではないが、私とQちゃんは離婚することよりも復縁することにした。

今までの時間に追われる稼ぎのいい仕事より、時間があるときに二人で散歩が出来る今の仕事を選んだ。

汚い皿が台所に放置してあれば、お互いに相手を想いながら皿を洗えるゆとりがもてる暮らしになった。収入と社会のバッチを追いかけることだけを考えて「あんなかたち」で彼をもう失いたくない。

Qちゃんがいなかったらこの16年の私のアメリカンストーリーは空白だっただろうし、これからQちゃんがいなくなったら物語の続きは味気なくなってしまう。

この16年ずっとアメリカに抱いていた気持ち。その感情の分厚いコートをまとって、私は明日宣誓式に出席する。

今までの16年の重々しいコートを脱捨てて「どこか違う、なにか新しい息吹」を身体に感じながら、私は明日宣誓式会場を後にするだろう。

2008年10月3日金曜日

ごめんね、おねいちゃん。

帰化面接が終リ家に帰るとどっと疲れが出た。私はベットに身を静めた。

どのくらい眠っていたのだろう。

リンリンと電話が鳴る。

Qちゃんが日本語で話している。誰だろう。

「そうそう。 あ、今、 ななちゃん、寝ている。 だけど大丈夫。はい、ちょっと待って」

受話器を手で押えながら小声で「チッヒロからだよ。 話すかい?」と私にQちゃんがいう。

もちろんよ。

そう答えてベットの上に体を起こし枕を壁に押し付けてそれに背をもたせた。

「あら、眠っていたのね。 今、お話をしても大丈夫?」千寛ちゃんの透き通るような声が受話器から聞こえる。

帰化面接から帰ってきたことを報告する。

「あら、そういえばブログにそんなことを書いていたわね。ということはもう国籍は日本人ではなくなるってことなの?」

姉はいつもこんな調子だ。 必要な時以外には妹のことにあまり深く突っ込まない。それが彼女の私への優しさなのかもしれない。

父のことや母のこと。

私はアメリカに居るだけに「聞こえないもの」がある。それは父や母や姉達の優しさで私には敢えて「聞かせてない」のだろう。

アメリカに飛んで足元がふらふらしている妹だ。そんな妹に日本の親の話をしてもどうにもならないと思うのが姉達の本音のところではないだろうか。

そう思われても仕方がない。

だが千寛ちゃんの口からはアメリカに逃避した私を責める言葉は一言も出てこない。

千寛ちゃんを見ていると私は両親に恩を返すことが何もできない無責任な娘だと思う。

人はなぜ子供を産んで育てるのだろうか。

私のように日本国籍を放棄した娘を育てるためだったのか。父や母は胸を痛めているのかもしれない。

いっそのことそう言って責めてくれた方がよかったのかもしれない。家族の優しさが心にチクチクと染みる。

ごめんね、おねいちゃん。

私が日本にいたら「家族の問題」を姉妹3人で抱えて精神的負担も軽くなるのに。

だけどもう私にはできそうにありません。世間帯を繕う為に嘘を並べることのできない不器用な妹を許して下さい。

いい加減な妹だと鼻で笑って下さい。その方が自分を責めなくて済むからいいんです。

月曜日に本当に法的にアメリカ人になってしまいます。心の中で整理をするまでまだ時間がかかりそうです。

もう頼るのは自分一人です。帰るところもありません。

最後の妹の言葉です。

おねいちゃん、家族の為に何もできない妹を許して下さい。 そして日本での妹を忘れて下さい。 日本での私はもう存在しません。これからはアメリカで生きていきます。

2008年10月2日木曜日

Qちゃんからの前祝い。

目が覚めた。 トイレに行って寝室に戻ってきたら置き時計の数字が4時20分に変わったところだった。

このまま布団に戻って横になろうかと迷ったが起きることにした。

アメリカ帰化面接の日がやってきた。

大丈夫だという安心感はあるがやはりナーバスになっている。気分転換にQちゃんの朝ご飯にコーンブレッドを焼く。

パソコンをいじってその間に洗濯機を回す。

アパートの部屋にゴーッという洗濯機の回る音が背後に響く。ナーバスな時には何か雑音があると気持ちが紛れてかえって助かる。

やるだけのことはしたのだから後は流れるように流されるだけだ。ゆっくりと目を閉じてそう自分に言い聞かせた。

Qちゃんが起きてきた。小さな部屋はコーンブレッドの焼き上がった香ばしいかおりに包まれている。

Qちゃんがシャワーを浴びている間、私は彼の緑茶を作り軽いブレックファーストの準備を調える。

シャワーを浴びたQちゃんに乾燥機から取り出したばかりのまだ温かい下着を渡し私はテーブルのコーンブレッドにナイフを入れてカットする。

キッチンの戸棚からモラセスを取り出しテーブルに置く。緑茶をカップに注いでブレックファーストの準備完了。

小綺麗になったQちゃんが笑顔でテーブルの席につく。

彼の大好きなコーンブレットに手を伸ばし黒ぐろと光沢のあるモラセスを上にかける。 どろどろした濃厚なモラセスがどんどんとブレットの中に染み込んでいく。

「とうとう来たね。君なら大丈夫」そういうとQちゃんはブレッドを口の中に運んだ。

途中でパサパサしているコーンミールがテーブルの上に落ちた。 私はそれを拾いあげて自分の口の中に入れた。

そのまま二人は優雅な会話をした。

大統領選挙の話から始まって、家族や友達の話、仕事の話。 取り分け特別でもないが今朝の私にはなぜか素敵な会話をしているように感じる。

私がQちゃんの国籍になれるかどうかが後5時間以内で決まる。

私の人生で重要な節目になる日だ。

なのにこんなにゆっくりした朝を過ごせる二人。お互いにそうなることをどこかで予期していたのだろう。

「そろそろ出掛ける準備をしよう」Qちゃんはパソコンの前に座ってダウンタウンの地図を見ながら面接場所の確認をする。

「よしっ、行こう。 書類は持ったかい? 」パソコンの電源を切って振り向く。ピンクの口紅を差して正装をした私は胸を張ってうなずいた。

うん、いきましょう。

面接場所はダウンタウンのチャイナタウンの近くだ。

昼の面接時間まで少し時間があるのでQちゃんはいつもの「飲茶デート」を計画していた。

「チャイナタウンまで歩こうか」Qちゃんと私は小雨が降るダウンタウンを歩いた。

チャイナタウンまでの道のりは長く続く公園沿いを歩いた。

都会の朝、出逢うオレゴニアン全てが「絵」になる風景で息がこぼれた。

「写真を撮ればいいよ」Qちゃんは足元を止めて優しく私に告げた。

Qちゃんもこの街の中に存在する「絵になるオレゴニアン」だなと思う。

この街で暮らしてから「Qちゃんはやっぱりノースウエストの人だな」とますます思うようになった。

ソフトで、優しくて、マナーがあって、開放的な考えを持っている。都会人ではないけれど田舎の人でもない。 知的で行動力はあるが必要な時にしか攻撃性は見せない。Qちゃんは私がイメージするノースウエストの人だ。

公園にはたくさんの絵になるものがあったが、面接のことで少し緊張気味な私はカメラを握ることができなかった。

然しこの銅像の前を過ぎたとき、Qちゃんがカメラを握り頼みもしないのにパチパチと写真を撮り出した。親子の象。数ケ月前にオレゴン動物園で象の赤ちゃんが生まれ地元ニュースで賑わっていた。象の赤ん坊のテレビ映像があまりにもかわいかったので、Qちゃんに「オレゴン動物園の赤ちゃん象の写真を撮りに行くデート」を計画させようと車の中で今朝商談していたところだ。車の中であまり乗り気な返事をしなかったQちゃん。彼に強制的に「うん」と返事をさせて商談を私有利に同意させたつもりだった。「これで象の赤ちゃんも見ることができたし、象の親子のカメラ撮影もできた。 もうオレゴン動物園に行かなくてもすむね」クスクスと笑うQちゃん。

これは彼のアメリカンジョークなのか本音トークなのか私には判らない。

「そうだね、あははは。貴方って面白い人ね、あははは」で済むほど私はもう若くもないし、初(ウブ)でもない。

アメリカンジョークということにしておこう。

今回はいつもとは違うレストランで飲茶を頂くことにした。

いつも行く飲茶レストランの無愛想な接待とは違い、この店のウエイトレスのサービスはとてもフレンドリーで居心地が良い。

頼む前から「お茶」がテーブルに差し出される。

飲茶はお茶を飲みながら食、話、笑、愉しむためにある。

心得のあるサービスに感動した。

中国訛りの英語で優しい挨拶をしてくれたウエイトレスが奥に消えたあとでQちゃんがいった。

「僕からの前祝いだ。帰化おめでとう」

テーブルの前に座る、これから自分と同じ国籍になろうとしている「彼の奥さん」にQちゃんが言った。

前祝いだっていうけれど、面接で否定されたらQちゃんに合わす顔がないじゃない。

そう言いながら私はウエイトレスが運んできた飲茶が積み上げられたカートを体を乗り出して覗き込んだ。

それと、それ下さい。海老のハカオと豚肉蒸し餃子で飲茶デート開始。Qちゃんは中華レストランに行くと必ずウエイトパーソンにチャイニーズマスタードをもってきてもらう。「おでんにカラシ」、「寿司に山葵」というようにQちゃんにしてみれば「飲茶にチャイニーズマスタード」はセットなのだ。では頂ます。

小麦が駄目なQちゃんのオーダー。海老を米皮で包んで蒸してある一品。甘いタレで頂きます。Qちゃん、私は基本的に食べることが好きだけど貴方とこうして緊張しないで食べることが好きだわ。Qちゃんの大々好物! チキンフィート!Qちゃん、私の手とチキンフィート、どちらにむしゃぶりたいですか?お次はQちゃんが少しかじったセサミボール、海老と野菜の米皮揚げ餃子、海老と帆立を米皮で包んで蒸したもの。私のセサミボール王子さま。これを食べに来たんでしょう。

いいのよ、何もいわなくて。 セサミボールを満喫してちょうだい。海老と野菜の米皮揚げ餃子の中身。海老と帆立を米皮で包んで蒸したもの。小麦の皮が食べごたえある豚肉の焼き餃子。お腹いっぱい。面接で眠ってしまったらQちゃんの責任だからね。

飲茶デートを終えて会計を済ましQちゃんと私は面接会場へと向かう。

面接会場でQちゃんと私は本を読んで試験官に名前を呼ばれるまで待つ。

一人、二人、三人、四人。試験官に名前を呼ばれ次々と姿を消していく。

とうとう私の名前が呼ばれ試験官の女性のオフィスで面接が始まる。

面接は順調に進み試験も終りなんと10分もかからなかった。

試験官も「こんなに早く済んだのは初めてだわ。次の面接までコーヒーブレイクができたわ」と彼女のジョークに背を押されながら私は彼女のオフィスを後にした。

待ち合い室に戻ると「なぜそんなに早く戻って来たのか」と興味を隠せない目で皆からジロジロと見られた。Qちゃんも驚きの顔を隠せない様子だ。

Qちゃんと私は待ち合い室を出た。

天井は見上げる程高い素晴らしい建築のビルディング、廊下は果てし無く長く見える。

この廊下では声がかなり響く。

「一体どうしたんだい」心配そうな顔をしたQちゃんが声を潜めて尋ねた。

余りにも私が早く戻ってきたので何か問題でもあって返されたのかと思っているらしい。

帰化宣誓式は月曜日に行なわれ、私はセレモニーに出席しなければいけないということをQちゃんに告げるとQちゃんの顔に笑顔が戻った。

ビルディングを出ると今までの緊張感がすっーと体から抜けていくのを感じた。

それはQちゃんも同じだったようだ。

「飲茶とチップに駐車料金込みの『帰化前祝いデート』。高くついたな」Qちゃんはクスクスと私を見ながら言う。

どう出るか私の反応を楽しんでいるようだ。その手には乗らないわよ。

公園での赤ちゃん象の写真を撮った後のコメントといいこのコメントといい、これらはQちゃんの「アメリカンジョーク」なのだろうか。それとも「半分本音トーク」なのだろうか。

「ハニーちゃん、月曜日の帰化宣誓式まで残り3日だね。 それまで悔いの残らないように『日本人』を充分に楽しんでね」くすっとQちゃんはウインクをして見せる。

やられた。

そういう憎めないことをする貴方の隣に死ぬまでいたいから。

その気持ちが、私をこうさせた。