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2008年9月23日火曜日

定期診断

Qちゃんが帰宅してきた。なにやら白い封筒を手にしている。なんだろう。

「車の排気ガス点検がそろそろ来るな」Qちゃんがこもった声でいう。どうやら白い手紙はその通知らしい。

「来週のオフにでも二人で行こう」Qちゃんはカレンダーに印をつけた。

1週間後私とQちゃんは最寄りの自動車排気ガス点検所に出向いた。朝から誠に素晴らしい快晴な天候だ。

入口のスタンドで通知を見せると職員のおじさんに「1番に移動してくれ」と愛想がない事務的な口調で指示された。ハワイ州からオレゴン州に登録を書き換えるときにもこの自動車排気ガス点検所に来た。あれからもう2年が過ぎた。平日は皆さん仕事をしているから列なんて見られない。なんだか爽快な気分。点検中、私は点検所の裏をウロウロ。なんか面白いものはないかな。とキョロキョロしてたら、Qちゃんが車を運転して出てきたぞ。 もう終了したの?他車の迷惑にならないように道端の隅に車を停止する。これが現在のプレート。排気ガス点検終了のシールを張りつける。ぺたっ。完了しました。Qちゃんの動きが早い。テクテクとどこに行くの?そうだった! 車の後ろのプレートにも「ぺたっ」としないといけなかったね。 2年も運転してないと忘れちゃうね。

2008年9月22日月曜日

やられました。

2日前から喉と鼻をやられている。

急に気温が変化する季節の入れかえどきに私はよく喉と鼻をやられる。

どうしてかって? 答えは簡単。

クーラーのない私のアパート。 夏の夜は窓を開けたまま眠る。

夏場は日が落ちて冷やされた空気が寝室に入ってきて気持いい。しかしもう10月近い。夏場は歓迎された外からの涼しい空気は肌寒い秋場には歓迎されない。

その「移りぎわを」を知らないで(実は無視していたのだが)布団を掛けずに眠っていた。

夜中に目を覚まして「なんか寒いな」と思ってもQちゃんが丸まっている布団を横取りして彼を起こすこともないだろう。そう思って再び眠りについた。

朝目を覚ますと喉がイガイガする。 やられた。 私はいつもこのパターンでやられる。

「なんか寒いな」と感じたらQちゃんの布団を横取りしてまでも自分を守るべきなのだ。Qちゃんだってその方が嬉しいはずだ。

Qちゃんと共に布団を共同してもう13年になるのに、夜中に彼を起こすことが申し訳ないような気がするのである。 私にも私なりの正当な理由があるのだ。

仕事にいくと喉のイガイガから鼻のムズムズにウイルスは領域を陣取っていく。

これもいつものパターンだ。

ウイルス軍の攻め方は知っているが、私の身体から彼らを攻撃して一刻でも早く退去させる得策は私はまだ心得ていない。

誰かウイルス菌をやっつける方法を知りませんか。

晩ご飯: 仕事の同僚のデービットの畑からだそうです。 奇妙な形の久離を頂きました。デービットもこの久離のようにくせがあって曲がっているけどとっても良い人です。毎月1度奥さんとランチデートをしている旦那さまです。揚げ豆腐と萌しの炒めもの
久離と若芽のマスタードサラダ
スパイシーエッグスープ

ペー君の晩ご飯: バナナ。アンちゃんからペー君にバナナを頂きました。半分はママが食べました。

ゆっくり風呂に入ってかあっ~と寝るの1番かな。じゃ、そうしよう。

2008年8月29日金曜日

葉巻ですか。

何年に数回Qちゃんは煙草を吸う。

煙草というより葉巻だ。

ルイストンにいる時も、金沢にいる時も、ハワイにいる時も、時々葉巻ショップに足を運んで丹念に選択するのだ。

メキシコのメキシコシティーでキューバ産の良質な葉巻や煙草を手に入れたQちゃん。キューバ産の葉巻は格別だという。

Qちゃんが煙草や葉巻を吸う姿は別人の男のように見える。

なんだか触れることができない黒いオーラのようなもの発している。普段の親近感のある黄色のオーラが感じられない。

だから私はQちゃんが葉巻を吸う姿を見るのが好きではない。

Qちゃん、葉巻の時間です。火がいらないから火傷をするしんぱいもない。灰が落ちる心配もしなくてもいい。なによりこの葉巻の方が温厚なQちゃんにぴったり。

晩ご飯:すずきのマヨネーズオブーン焼き
コッテージチーズとサルササラダ
レント豆
コーントルティーア

すずきのマヨネーズオブーン焼き。これは美味です。 ななさんレシピに追加です。

2008年8月6日水曜日

アークチョーク

これをローストしてバターをつけて食べるそうだ。花びら(葉)を一枚一枚はがして、それを兎さんのようにかじるそうだ。バターをつけて白い実の部分を食べる。 なんとも骨のおれる食べ方ですこと。 いっそのこと瓶詰を買ったほうが早いんじゃないの?

晩ご飯: 喧嘩の後、私とQちゃんが食べる晩ご飯。 いつもより愛情が入ります。蟹味の卵ビーフン
チキンとカリフラワーのカレー味

「美味しいね。ビーフン大好き!」テーブル前に座るQちゃんに必要以上に美味しさ嬉しさを伝える。

Qちゃんは黙っているけどフォークを忙しく動かしながら「うん、うん」と首を上下に大きく振る。

食事はこうじゃなくちゃね。

ここ喧嘩2日分の愛情を炒めてあるビーフン。 二人で黙々と食べました。 心もお腹も今夜はいっぱい。 ご馳走様でした。

2008年8月5日火曜日

冷線状態の延長は

Qちゃんと喧嘩した。

私はズサズサ言葉を並べてスッキリする人。 Qちゃんはじっとして我慢する人。

普段はどうでもいいことを「こうしたらどうだい、ああしたらどうだい」と口うるさいくせに深刻な夫婦問題になるとQちゃんは口をきかなくなる。私の文句注文が正当だからなの?

普段のQちゃん。子供が母親にすがりつくうっとうしいくらいベットリなのに。悪妻に傷つけられたQちゃんは人が変わる。

私と目を合わせないほどになる。それだけQちゃんの心は傷んでいるのかな。

ま、Qちゃんの「こういう幼稚っぽいところ」に「ごめんなさいね」と相手にしているほど私は暇ではない。強い振りをする。

「拗ねている子供を無視して気の済むまで公園の砂場でワンプレイさせておけばいい。疲れたらまた戻ってくるだろうから」という心境だ。しかし横目で秘かに彼が怪我をしないか観察している。

私だって気分が良いわけではない。 Qちゃんと一緒の部屋で同じ空気を吸うのも嫌だもん。

だから一人で散歩に出る。Qちゃんだって鬼のような女から少しは離れてホッとしたいだろうから。好きだから。相手のことを好きだからこそ傷つけてしまうことがある。それは我家族であったり、Qちゃんであったり、時には自分自身であったり。その夜Qちゃんはソファーでお休みなさい。 私は一人ベットで大の字でお休みなさい。

2日目も同じ。

私の会話にQちゃんはうんとかすんとかしか返事をしない。

ここまでくると気性の荒い私はムッとなる。

喧嘩をすると私は男勝りでQちゃんは女みたい。傷ついたなら言えばいいのに、言い返してくれればいいのに。じゃないと私だけが悪者みたいで公平じゃないもん。

公平?

Qちゃんが自分と同じ角度から見てくれていない感じてくれていないと不満をいっているのは私だ。

相手を尊敬するならば見方によっては不公平でいいんじゃないのか?

Qちゃんと私は別々の人間で、共同生活をしているんだから。

予想以外に問題が深刻に発展しつつある。 メールで反省文をQちゃんに送る。

その夜仕事の遅番から帰宅する。

「ただいま!」と大袈裟に明るい声で家に帰るとQちゃんの弾みのない返事。Qちゃんの感情はまだ回復していないようだ。

しかしキッチンのカウンターには西瓜5号がどてっと胡坐をかいて座っているではないか!いじけ虫になってムッとしている割にはこの猛暑の中自分の好物の西瓜を一人でせっせこ買いに行く気力はあるのね。 安心したわ。

それに美味しそうな匂いがする。晩ご飯を作って待っててくれたのね。チキンとズッキーニーの炒めもの
レント豆の炊き込み玄米

私一人で晩ご飯なの? Qちゃんは黙ってベットの上で西瓜を食べているようだ。

Qちゃんと私って子供よね。 相手の顔色をお互いに伺っているんだもん。

「1度言ったら後を引かない!」というのが私のQちゃんへの優しさコミニケーション。

言葉でいい返さないけど「ぎこちない態度で仲直り」というのがQちゃんのサイレントコミニケーション。

その夜Qちゃんと私はいつものまま何事もなかったように同じベットに潜り込んだ。

互いに意識する二人。Qちゃんは寝返りを何度もしている。私は寝息を立てる振りをした。

「ごめんね」のコミニケーションなのだろうか? Qちゃんの足首が私の足首に微かに触れた。

私はQちゃんのくびれた細い腰に私のずんぐりとした太い太腿を勢い良く絡ませた。

2008年8月3日日曜日

おやっ

34年暮らしてきて色々なことを経験すると「おやっ」と思うことがある。

哀しい経験をするほど、その「おやっ」という発見をする。

それは哀れで悲観な感情になると「こんにちは」とズタズタとやってくる。

自分が地面をはう団子虫のように思えるとき、出勤中の道で他人と交すどうでもいい挨拶が価値のあるものとなる。

自分が蟻地獄でもがくムシケラのように思えるとき、友人の「意味がない」温もりに触れることで「少しの間だけ」地獄から救われる。

自分が何もできない情態に置かれたとき、遠く離れた家族と繋がることで孤独という暗黙に眩しい光が差し込まれる。

今年も大切な御主人の淳さんの誕生日ケーキを焼いた千寛ちゃん。7ヵ月の妊婦姿の千寛ちゃん。お腹がぽこっと出てきて可愛いかった。お腹だけぽこっとしてて綺麗なままの千寛ちゃん。命が宿る母体。その強さが凛々しく身体ににじみ出ている。

お転婆な千寛ちゃんは保育所のときから「弱虫の妹」の守り役。

今はもう守ってくれる距離ではなくなってしまった。

「弱虫の妹」は自分で守っていかなければならなくなった。

此から千寛ちゃんは「我が子」を守っていくんだ。

千寛ちゃんが段々と離れて行く。 それは判っていたこと。

姉も弱い部分があるだろうが、それを妹の私には見せていないだけ。

淋しいな。弱いな。最近のわたし。人恋しくなるなんて。

今夜私が「おやっ」としたことだ。

この「おやっ」という発見は自分の弱さに驚くことだ。

「一人でも平気、私は一匹狼よ」と普段は強がる自分が本当はヨロヨロと道に倒れ込む負け犬だと認めざるおえないときフツフツと湧き出るのだ。

この歳まで生きてくれば気になることがあっても「泣けば済む」と他人を見るなりワーワー泣き叫ぶ子供のようにはなれない。

ここで子供のように涙と鼻水を垂して人目を気にせずワンワン泣けたらどんなに気が晴れるだろう。

それができなくなってしまった、涙が出ない。

気を使ってくれる人達に「何もかも大丈夫、心配するのはよしてよ。私は強いの」と偽りの笑顔まで作れるスキルも身に付けた。

あの赤い縁眼鏡をかけたおばさんだって、あの黒い帽子のお洒落なお兄さんだって、 向こうのごみ箱の前で屯して煙草を吸う大学生のアンチャン達だって皆同じ。

大人になればこんな「少し嘘つき」スキルを学ぶのだ。 なにも私だけ特別ではない。

皆そうやって生きて暮らしているんだから。

晩ご飯:

バーベキューポーク
ガーリックブロッコリー
トマトとラディッシュサラダ
玄米

明日がくる。働ける職場がある。笑わしてくれる友人がいる。 ランチをもって行くことができる。無事過ごせたこと。それって幸福なことだよ。

2008年8月2日土曜日

Qちゃんのプラント

Qちゃん、あんなに張り切ってプランツをオフィスに連れていったのにもう連れて帰ってきたの?水を充分にあげなかったんじゃないの?

「水を与え過ぎるのも良くないんだ」

日光を浴びさせてあげたの?

「室内植物だから余り日光は関係ないんだ」

じゃ、なにゆえにこの植物さんは元気がないのよ?

「、、、、、、、、」

晩ご飯: 鳥肉とじゃが芋と辛菜の炒めもの
大根と大根菜の甘酢
玄米
ピリピリスープ

緑の葉野菜は癌予防にもいいらしいんだって。 要するに多種様々な食物を適量ずつ食べなさいってことよね。

2008年7月30日水曜日

ため息、 ご飯

「晩ご飯は憩い」といっても過言ではない。 私には「料理は癒し」なのである。

しかし癒しのはずの料理を楽しめない日もある。晩ご飯を作るのか億劫に感じる夜だ。

理由は単純だ。 体が疲れているのである。

嫌なことに「そういう日」は数日続くのである。

第1日目:塩もやし炒め
辛し菜の炒めもの
ベーコンとポテト玄米
タイスープ

第2日目:BBQブラックアイビーンとポーク
マッシュポテト
ベーコン玄米


第3日目: 昨日のBBQブラックアイビーンとポーク卵でオムレツにする。残り de オムレツ
カリフラワーサラダ
ベーコン玄米

作っても心が入ってないから満足できなけれが感謝もできない。

ある種のぽかっと心に穴が空いているようなふらふら行方不明になっているような気分。

こりゃ、やばいかな私。

2008年6月5日木曜日

ミッドナイト クライシス

真夜中、苦しくて目が覚めた。

お腹の下腹が張っている。 痛くて眠れない。

どうしたのだろう。 こんなことは初めてだ。

夜のスナックに食べた「あのカビの生えたチーズ」を食べたのが原因か?

吐きけがする。 苦るしい。

ベットからはい上がる。

横になっていても辛いのに、立ってみてもお腹がパンパンに張っている。

「妊娠しているってこんな風なのかな? 」なんて考えてみる。

吐きそうで吐けない辛さ。

本当に苦しい。

息もできない!

トイレで「ハー、ハー」あがきながらQちゃんを起こそうか迷った。 背中をさすってもらったら少しは気分も良くなるかもしれない。

便器に座りながら考えていた。

こんなに苦しいのは何年振りだ?

病気で死ぬ人は今の私のように「痛みに抵抗できない」で死んでいくのだろうか?

ならば人間は体内の痛みをコントロールできない無力な生き物だ。

ううっ、 それにしても苦しい。

30分以上も私は便器の上でロダンの「考える人」状態だった。

しばらくして下痢の群れが私の下腹部を幾度なく通過していった。それでも気分は悪い。

もう1度ベットで横になろうか。

「あの苦しい感覚」が私の脳裏に蘇る。立ったままでもいられない。体をコントロールできないもどかしさ。

寝室に戻る。Qちゃんはスースー寝息を立てて眠っている。

少し「怯えながら」体を布団の中に滑べらせてユックリと横になってみる。

あれれ、「あの痛み」がない。

枕に頭を乗せて仰向けに体を伸ばす。 指を絡まし胸にあてる。 まるで祈るように眠った。 「あの痛み」がもう訪れることがないように。

翌朝、Qちゃんが身支度をしている音で目が覚めた。気分は良くなっている。

Qちゃんに「ミッドナイト クライシス」のことを話した。

「カビのチーズ」の話も告白した。

「軽い食中毒だったんじゃないのか」Qちゃんはあまり心配していないようだ。

私は死ぬほど苦しかったのに。 もっと心配してくれるかなと 少し期待していた私。残念。

晩ご飯:ローズマリーチキン
ロースト芽キャベツ、人参、 ポテト
いんげんまめ
ケージャンマッシュポテト

肉はローストに限るね! 美味しい! 幸せ! 最高!

2008年5月31日土曜日

本立て

私は整理整頓するのが得意ではない。

去年出した書類が床に横になっているままだ。

「ファイル」というものを知ったのは18才の大学のブックストアだった。

16年前の春のキャンパス。

受講しているクラスのペーパーやノートがあまりにもバラバラで整理ができていない私を見兼ねて、Qちゃんが私をブックストアに連れて行き「これがファイル、 これがファインダー、 これがルースペーパー」と手とり足どり「授業のファイルの仕方」を教えてくれた。

あの時からQちゃんは「将来私のお世話をする人」になる運命だったのかもしれない。

Qちゃんサイドから言わせると「この人、この先大丈夫かな? アメリカの大学で生き残っていけるかな? なんだか危なっかしくてほっておけないよ」という親心が「ピーピー鳴いて強がるひよこ」を見ているうちに生まれていたのだろうか。

今でもQちゃんは「実の親」よりも「親」らしい。 私を「女の子」として扱うことがある。馬鹿にされているように思うことがあるが、事実彼から教えてもらうことは毎日ある。彼は博学多識だ。

Qちゃんは全般的に「きちん」としている。 スケジュール帳も、財布も、アドレス帳も「きちん」としている。

Qちゃんは小さい紙に「1時間の講義」を箇所にしてメモできる人間だ。私は3枚の紙があっても足りないくらい「頭の中でも」整理ができない人間だ。

それでも「あの野蛮な時」に比べたら、今では重要書類をファイルにしたり、アドレス帳を書いたり、請求書を払ったり、家計簿を付けたりするようになった。

籍を入れた翌日から旦那様が「これからは君の役割だよ」と私を仕込んでくれたお陰だ。

最近は「君の役割」も「僕の役割」になりつつある。目的が同じなら「誰の役割」でもいい、 今の二人はそう思うのだ。

このアパートに住んでからあれだけ物を持たないようにしているのにまだ整理ができていない。 本や書類やメモ用紙やら、あれこれと散らばっていて何やら頭が痛くなりそうだ。

だから私はセカンドショップに時々足を運んでオーガナイザー道具が安く手に入るのを狙っている。

先月仕事のボスさんに「捨てるなら是非下さい!」と頼んだものがあった。

仕事のボスさんは「これ? いいよ」とあっさりと許可をしてくれた。アスパラガスが入っていた木箱。横がコルクになってるし、文字もお洒落。 さっそく部屋の片隅でバラバラに置かれている本を集めて本立てにする。少しはスッキリしたかな。

晩ご飯も野菜を一杯食べて胃腸をスッキリさせましょう!野菜タップリ千切りサラダ(キャベツ、人参、玉葱、西瓜の皮、セロリ、若芽)
卵と法蓮草と若芽の炒めもの
玄米

Qちゃんは16年前に出逢った時から「私のアメリカンライフ/英語のプライベートテューター」になった。

もちろんお金は払っていない。

私がアメリカの大学を(一応)優秀な成績で卒業できたのは「Qちゃんが宿題のレポートの文法を添削してくれた」お陰だ。

これからも彼には助けてもらうことがたくさんあるだろう。

そのお返しに「彼のいつでも安らぎを保証できる人」であるように私は努力をしていくだろう。

2008年4月29日火曜日

電車でゆらゆら

オレゴン州は交通の便が良い。 ダウンタウンまで市電やバスが通っている。郊外からこれらの交通手段を利用し通勤する人も多い。

私は公共交通手段を利用するのが嫌いだ。 狭い箱の中で見知らぬ人と共に箱詰めになるのに息苦しくなるのだ。今となっては、日本の通勤ラッシュなどとんでもない。

だが市電やバスに乗って目的地がない最終地まで辿り着くのもいいな。各駅で下りるわけではない、その路線の街を見届けたいのだ。 オレゴンに来てから、そういう「ゆらゆら(気まま旅)」をしていない。 今度やってみようかな「ゆらゆら」。オレゴン州の交通機関はTRIMET 。料金や乗り継ぎについて説明されてる。英語、スペイン語、中国語、韓国語、ベトナム語、 ロシア語。 どうして日本語がないんだろう、 まだポートランドは日本人口は少ないのか。
どうした、ペー君。 マックス(電車)の紙モデルを一緒に作ってほしいのか?よしっ、たまには息子孝行しておかないと。君にも色々と私の秘密をつかまれているからね。
ペー君マックスに乗ってオレゴン動物園に行きたいの? オレゴン動物園にはオラウータンはいるのかな? ホノルルの動物園にはペー君の伯父さんがいたよね、名前は何っていったっけ? 時々ニュースに出てたよね。サンディエゴ動物園にはペー君の家族がたくさんいたね。ペー君もあの時は驚いたでしょう? はい、ペー君、こっち向いて。写真を撮るからね。

今晩の晩ご飯、 淡白質が多いな。蒸しチキン
ケールとローストビーフのサラダ
玄米
ラディッシュ

ペー君、ママは一人で「ゆらゆら」はもう嫌だ。Qちゃんと一緒の「ゆらゆら」が欲しい、これからは。

2008年3月18日火曜日

暮らしのレッスン

アメリカ、充分にその人を知るまでは信じないことにしている。

アメリカ、 何が起こっても不思議ではないところ。安全の保証はない。自分で自分を守るのが必然だと私は思う。

親切、時には痛いめにあうアメリカ。どこで暮らしていても「悪と善」は存在するんだけど。

アメリカ暮らしに慣れてきた。その安堵から、うっかりやられた。

カード社会のアメリカ、財布の中には現金$20以上は持たない私。 だがもしもの時にいくらか札を財布に入れている、それは確かだ。

最近財布を開けることがなかった。前回開けたのは歯医者のカウンターで支払いのクレジットカードを引き抜くときだ。 その時財布の中に現金が入っていたか確認をしていない。

次の日Qちゃんと一緒に買物にいく。現金がいくらあるか財布の中を調べてみると「空」ではないか! おかしい、私は必ず現金をいくらか入れておく人間だ。やられた、けどどこで誰に。

仕事場所、なはずがない。ロッカーには鍵をかけている。歯医者で?、、、そういえば。

人間は1度悪く考えると雪だるま式にどんどん悪く想像してしまう。駄目だと心の中で云ってみたけど、思い当たることがある。

歯医者に2度目に行ったあの日。違うオフィスから派遺されたアシスタント。彼女 がものすごくハイテンションで親切以上に親切だった。彼女を疑うのはいけない。 けど、、、、。

私が椅子の上で気を許して目を閉じたままだからいけなかった。彼女が動いていても安心して目を閉じたまま。財布の入った鞄は床に放置されたまま。誰でもアクセス出来る。

このことについてQちゃんと話す。確ではない、けど確に現金が奇麗に消えている。不思議なのはどうしてクレジットカードが盗まれていないのかということ。治療費をカードで払うと判っていたからか? 嫌な空想が頭で一人歩きをしている。

歯医者のオフィスに報告するべきか? けど現金があったことを確認したわけでもない、あのアシスタントのせいにするのは道理にかなってない。仮に彼女が盗んだとしてもカードは盗まれてない。それに$20以下の金だ。

$20で学んだレッスン「安全は保証されない」。そうだった私はそういう所で暮らしているんだ。うっかり忘れていた。

Qちゃんがうなずいている。今度からは財布を離さないようにする。

良い暮らしのレッスンでした。小さな損害で守られたな。有難う。

2008年3月6日木曜日

歯医者さんへいこう

去年左の歯のブリッジが取れて慌てて歯医者にいった。

アメリカの保険現状は良いとはいえない。私の歯科保険が保証してくれるのは年間$2000、あとは自分のポケット払いだ。

去年このブリッジを直すのに私の財布から$2000が消えた。 歯科保険で$2000、自分で$2000、合計$4000かかった。アメリカの医療制度は良いとはいえない。

2008年に突入した、今年の歯科保険$2000を当てにできる。いつでも歯医者にアポイントを取れるのだ。気がつけばもう3月だ、言い訳続きで逃げていた。

先週自分のスケジュール手帳に「歯医者にアポ電話」と記入。そうでもしないと4月になっても、5月になっても歯医者にいかないだろう。

仕事がオフの日にアポイントを取り、今朝一番に歯医者さんのドアを叩いた。去年と同じようにアシスタントの青年と歯科医のビビアン先生に笑顔で再会した。

ビビアン先生はベトナム人アメリカ人でアクセントのある英語でいつも丁寧に接してくれる。前回は日系人の彼の話をしてくれたが、 今でも付き合っているのだろうか。コンピューター画面に私の虫歯の写真を写して説明しているビビアン先生を見ながら余計な事を考えていた。

ベットの上でヨダレ掛けを首からかけてもらい、頭上を照らす熱い光を妨げるためのサングラスを付けて横になった。 ここまでくればもうどうにでもして下さいという気持だ。 ビビアン先生の包丁で調理されるがままの魚と同じだ。

ビビアン先生はキレイで優しい声なので園児になった気分になる。先生の云うことならなんでもききます!という気分だ。「お口を大きく開けてくれるかな?」といわれれば「はーい」と疲れてガクガクした口をさらに大きく開けて協力をしてしまう。

子供が恐い体験をすると母親を思いだして安心するのと同じように、この歳になった私でも「キーン」とか「ガガガガッ」というような歯を削る音を耳にすると母の優しい顔を頭に描く。ちなみに今回は母親以外の女性達の顔も登場した。

1番バッターはハワイのじゅんさんだった。「NANAさん、大丈夫? はははははは」と笑っているじゅんさん。 心配していないとこが彼女らしい。

それからしあわせさんも「NANAちゃん、大丈夫?」と心配そうに登場。本当に心配してくれているようだ。

お次はひまわりさんと黒猫さんが登場して「NANAちゃん、歯だけは直せるときに直しておいたほうがいいよ」とアドバイス。「そうだ、そうだ」と私も二人に納得。

最後にはわたしのボスさんまで登場だ!ちなみにボスさん「NANAちゃん、明日の仕事は大丈夫なの? 休んだらどう?」なんて好き勝手なことを空想してベットの上で仰向けになって大きな口を開けていた。

歯科クリニックから出ると麻酔がすごく効いていて、唇がいかりや長介さん人形のように破裂していた。

家に帰るとQちゃんが私の顔を見て笑いをこらえることができなかったくらいに、 私の唇は麻酔効果で半開き、話しをするたびにQちゃんは私の唇を見てくっくっと笑いを抑えていた。

今思うとどうしてこの顔をカメラに収めなかったのだろうか。自分でもこれは公開できない顔だと思っていたのだろう。

来週もまた歯医者さんへ行く、今度もまたあの耳触りな音を聴くたびに、母の顔や大好きで安心できる友達の顔を想う園児になるだろう。

2008年3月4日火曜日

スタバ? ただのごみだよ。

このロゴ入りカップを片手に街を歩いていれば社会の「クールキャタゴリー」に入っているようで安心しているあんた。

スタバとかブランド品、皆がもっているものを欲がって、そんな暮らし退屈じゃない?

皆がしてること、皆がいうこと、皆の真似して自分はどこにあるの?

名誉とか、肩書とか、学歴とか、職歴とか、スタバとか、あの男/女をものにしたとか、これ全部なくして自分が裸になったら周りの友達はあんたの隣にいるか? いないだろうが?道の真ん中に捨てられたごみと同じだよ。 あんた、それ知ってんの?