2008年3月9日日曜日

スキンケア less

ここ15年化粧はしない、 スキンケアもしない。 朝洗顔するだけだ。

冬場から春にかけてのオレゴン、 肌が乾燥しだした。 肌に潤いを補給しないといけないらしい。

といっても家には化粧水や乳液などない。

唯一あるのはヤキマに住むお洒落なラニママからのナチュラルローション。それもいつ貰ったのか覚えてないくらい古いものだ。ラベルのシワが物語っている。ローションを手の平に取る。それを人差し指でちょこっとすくう。 あごに一塗、 右頬に一塗、 左頬に一塗、 おでこに一塗。それを指で丸く伸ばしていく。

肌がヒリヒリする、クリームのせいだろうか。 その刺激もすぐ引いていく、同時に私の肌もウットリとしてくる。

15年前にQちゃんとお付き合いを始めたとき、オアフ島に住んでいたラニママ。Qちゃんは休みがあればハワイでバカンスを楽しんでいた。 たくさんの貝殻ブレスレットやアロハシャツ、 ドライフルーツの土産を抱えてアイダホへ帰ってくるのであった。

Qちゃんはいつも「いっしょに来ないか」と未だ知らぬ楽園の島に私を誘った。私はいつもその夢のような「ホノルル旅行フリーツアー」を断っていた。何故だ?

「想いを寄せる男性(Qちゃん)の家族」に会うのは結婚という文字が確ではない限り納得がいかなかったし、家族付き合いは避けたかったのだ。

当時の私、今もそうだが、恋愛は結婚の延長でなくてはならない。Qちゃんと私は結婚をする気持ちはないという前提で付き合っていたため、どうしてQちゃんの家族にガールフレンドとして紹介されなければいけないのかという気持があったのだ。

ある朝Qちゃんがホノルルからアイダホに戻ってきた、 朝一番の飛行機で帰ってきた。 私がアパート暮らしを始めて初めての夏だ。夏セメスターで受講した大嫌なアメリカ史も無事終了し、ホッとしている蒸し暑い朝だった。

アパートの寝室のカーテンから入る朝の光が眩しくて、もう起きる時間だなとウトウトしていた。すると突然寝室のドアが開いて人の気配がした! 驚いた、声が出なかった!

一応若い女だし、それも裸同然の姿だ。 これは危ないと自分の身の危険を感じた。

ギョットと体が動かない私に「ハーイ、NANA! 会えなくて淋しかったよ」と少し赤く日焼したQちゃんがアロハシャツ姿で立っていた。「台所のドアの鍵が壊れていたよ、僕そこから入ってきたんだ。危ないな、僕でよかったよ」本当にQちゃんでよかった。あれは恐い体験だ。

Qちゃんは大きな花柄のドレス、ブルーの貝殻のブレスレット、パパイヤの絵がかかれたスキンクリーム、キュウカンバーの絵がかかれたスキンクリームを私に差し出して「これ母さんと僕からNANAにプレゼント」。

当時からラニママはナチュラル化粧水だけを肌に付けていたし、Qちゃんも私の肌にナチュラルなものだけを付けてほしがった。

それからかな、化粧はしない、肌に付けるクリームはラニママ(Qちゃん)がくれたナチュラルなものだけを付けるようになった。それも毎朝、毎晩ではない。私の肌がカサカサになって悲鳴をあげた時だけ、このナチュラルクリームが登場する。

あの蒸し暑い夏の朝を境に私のスキンレスな生活が始まった。話が長くなったが、このクリームはある特定の場所でしか売られていない。ラニママがヤキマからポートランドに来る途中の土産品屋で買ってくるのだ。オレゴン州とワシントン州の地図を広げる。ここが私達がいるオレゴン州ポートランド市。上はワシントン州シアトル市。車で片道4時間くらいかな。シアトル市からラニママのいるヤキマ市までは、車を東に走らせて3時間半のドライブ。ポートランド市からヤキマ市まで片道4時間。 地図の星マークがラニママが立ち寄る土産品屋さんだ。 そこでラニママはこのナチュラルクリームを買うのだ。

ラニママはいつも一人で運転してくる。元気なラニママ。 昨日も留守番電話に「ハッピーアヤミハ! QUDDUS and NANA 久し振りね! 元気にしている? 私もおばあちゃんも元気よ!」と甲高い明るい声のメッセージが残されていた。

私の英語が上達してラニママと会話が愉しめるようになればなるほど、ラニママはそのままの私を受け入れてくれるのがわかる。

ラニママは義理の母親でもあるが、アメリカ人の歳上の女友達でもある。ラニママにはQちゃんのことを面白ろおかしく、 どのくらい私を苛々させるか、そしてどれだけ彼が可愛いかを話せる女性だ。

ラニママは心強い私の味方だ、 ジェアタも私の味方に加えれば鬼に金棒! もうQちゃんなんて恐くない! Qちゃんと離婚したとしてもラニママとはメールで連絡をしている仲だろう。

恵まれた家族、私はなんて運がいいのだろうか。Qちゃん、ありがとう、嫁さんにしてくれて。