先日ある20代前半の女の子が「NANAさんの夢は何ですか」と聞いてきた。 私の即答は「ない」だった。その答えに目を大きくして驚いていた彼女。
「夢って何だろう」と久し振りに時間をかけて考えてみた。20代の頃は夢とは自分がなりたい姿だった。収入のある仕事やお金をかけた家中の家具、Qちゃんと夫婦二人だけの"それなり"の生活。金で解決出来るものばかり求めていた。考察してみると夢ではなくてかなり現実になっていたではないか。
「夢って何だろう」あれから10年歳を重ねた私に問いかける。すると「夢とは叶わない計画」のように思えてきた。もしも「夢が叶うる計画」ならば人は「夢」と云うだろうか。
一昔前の私は叶うる計画を「夢」という言葉に置き換えて使用していた。 けど現実化したら其れはもう「夢」ではなくなった。後に残ったのは「難しい」と勝手に自分が思い込んでいた人生計画(夢)の章が終っただけのことだ。そして再び次の人生計画(夢)を次章で展開していく。
34歳の私には「夢」は存在しないようだ。しいていえば「夢」とは「一生保証される程の大金を宝くじで当てて来月仕事をやめて世界一周旅行船にQちゃんと乗り込む」皮肉的に叶わない人生計画を待っているようで時間の無駄だ。
ホストファミリーを始めることが私の次の人生計画だ。 夢だとは思ってない、いつか分からないが時間と条件が解決するだろう。
「叶わない人生計画」を「夢」だといつまでも 抱き締めていられる人間ではなくなった。それよりも叶う人生計画をじっくり描いてゆっくりと現実化されるのを待っているほうが実用的にみえるお年頃になったようだ。
ゲストと共に台所に立ち英語でハンズオンクッキングをするのは何時になる。ワクワクする。ホームメイドキムチ
海老と白菜とさやいんげんのオイスターソース炒め
ジャスミン玄米
この一日は無駄ではない、この一日をなくして明日へは進めないのだから。