今日は日曜日。週末をヤキマで過ごしていた伯父さんと叔母さんが午後には帰ってくる。二人に逢うのは12年振りだ。
伯父さんと叔母さんはいつも動物を飼っている。あの頃は中学生だった息子のランダムが奇妙な生き物を飼っていた。イグアナがいたときもあったし、ペット用の小型黒豚スパイクが住んでいたこともあった。

この家にはいつも猫が住んでいる。もう亡くなってしまったがファウロという黒猫が住んでいて、黒豚スパイクがいつもグーグーと鼻を鳴らしてファウロの餌をむさぼっていたのを覚えている。そこで「伯父さん夫婦のペット情況」が途切れている。私もQちゃんも大学を卒業してアイダホを離れたからだ。
ファウロが亡くなったと聞いたのは数年前だ。だが、ずっと昔のように思える。
この家に足を1歩入れた瞬間12年前の「あの時代」が鮮明に戻った。叔母さん独特のインテリ家具や、テーブルの上でゲストが退屈凌ぎに遊ぶユニークな玩具、家中に溢れる観用植物、沢山の本や CD が静で誰もいない家の中に並んでいる。全てが「あの時のまま」だ。なのにファウロの姿は色焦て想い出せない。
新しい猫が住んでいたからだろうか。
懐かしい正面玄関の扉を開けると、昔ファウロがしてくれたように、白黒の猫がミャーと小さい声で出迎えてくれた。新しい猫が家族になっていた。
伯父さんからQちゃんと私へ「猫の餌時間と量」が書かれたメモがテーブルに残されてあった。
このキッチンテーブルに伯父さん夫婦はいつもこうしてメモを残してコミニケーションをはかるのだ。 私達夫婦もこの伯父さん夫婦を「真似て」メモを残してコミニケーションをはかっているのかもしれない。伯父さんの円みを帯びた癖のある文字。伯父さんスタイルの主語の「I」がいつも小文字の「i」になっている
ところ。 この家は12年前に去った時のままのようで心がホットした。


伯父さんと叔母さんが帰ってくるまでに時間がある。Qちゃんと二人で最後の朝をゆっくりと過ごしたい。想い出深い伯父さんと叔母さんのキッチンでお茶好きな伯父さんのジャスミンティーを沸かして、彼がしているように普段より多めの砂糖を入れて飲んだ。
12年前の昔と今も変わらない台所。変わったといえば冷蔵庫に貼ってある「家族の写真」が増えているくらいだ。

伯父さんと叔母さんが居ないこの家でQちゃんといっしょにゆっくりとした朝ご飯を食べる。 15年前の大学生の頃と同じだ。
伯父さんと叔母さんが仕事で出掛けた後の誰もいないこの台所で、そしてあの時と同じテーブルで、大学生だった二人はいつもこんな風に「ランチを兼ねた遅い朝食」を済ませ午後からの授業を受けるために大学へ向かうのだ。長い歴史のようだが、まるで昨日のことのように覚えている。 (この想い出話は "Topics" の 「NANAってどんな人?」キャタゴリーの "2007年9月5日「タイカレー」"を読んで下さい。)
伯父さんと叔母さんが帰るまでに寿司を作って待っていたい。あの頃の私は特別な日があるとこの台所カウンターに立ってツナマヨの太巻をよく作った。
寿司を作る私の隣でQちゃんと伯父さんは御喋りをする。難しい学問的な話題、スポーツの話、ルイストンの街の話、Qちゃんは伯父さんと話すのが大好きだった。伯父さんはいつも私が立つカウンターに笑顔でそっとお茶を置いてくれた。
伯父さんのホスト振りはQちゃんのものよりも遥か上だ。しっかりと相手を観察して何が必要かを見極める人だ。
Qちゃんは話に夢中で1度も私を気に止めてくれなかった。あの時のQちゃんはとても無神経な人だったように思う。当時の私は「将来を真剣に考える程に値しない女」だったからだろうか。
卒業間近に伯父さんがQちゃんに云ったことがあったそうだ。どんな言葉だったか忘れたが「女性とは責任の取れる行動をしなさい」という内容だったと私の脳裏に残っている。4年間私とQちゃんの関係を間接的に観察していた伯父さんの「この言葉」はQちゃんの心に何かを訴えたのだろうか。
卒業後しばらくしてからの突然の事だ。 既に決まっていたニューヨークのニュースクール大学院を翌年に延期してQちゃんは2つの大きなバックを肩から抱えて湿気でムンムンしたニューオリンズの空港に立っていた。
惨酷だが私は嬉しくはなかった。4年間大好きだったQちゃんと奇麗さっぱり縁を切って新しい暮らしを始めたかった。あの頃の私は若さで恐いものはなかった。Qちゃんがいなくてもアメリカのどこかで生きていけるような気がした。Qちゃんが4年間私に云い続けたように「Qちゃんは大学での恋人。それ以上でも、それ以下でもない」と彼を過去形にしていく強さがあった。
そういう可愛くない強がりの女にしたのは誰だ。Qちゃん本人だっただろう。
Qちゃんは私が一人アメリカでどこまでできるのか試していたのではないか。最後の最後まで突き放しておいて私が彼の言葉通りに離れた時を見計らって、 今さら「一緒になろう」では話が良過ぎではないか。私はそこで簡単に折れる「都合のいい女」ではなかったはずだ。
そんな二人が12年振りに一緒になってこの場所に戻って来ている。
「人生は見えないものだが、運命はもう定められている。」
人間は「その法則」を知らないだけで、いかに「自分が人生を開拓している」と偉ぶっていても実は生まれた時からもう定められている見えない運命の舞台上で「その選択をする」ように逆に自分が見えない糸で操られている人形なのではないか。
ここ数年一人でそう私は悟るようになった。「一人よがりの悟り」だ。しかし「今を生きる自分の理」になぜだかかなっているような気がするのだ。
テーブルの斜め前に何も知らず幸せそうに座るQちゃんを見つめながら一人そう考えていた。
私はQちゃんの人生を狂わせたのか? 大学院行きの切符を破らせたのは、誰でもなく自分だったのではないか。このことが悔やまれてならないことが幾度もある。
あの時彼が誘うままにニューヨークで一緒に暮していれば二人はどうなっていたのだろう。そう想うこともある。 大学院行きの機会を無駄にして何でもない女との結婚を選択するのもまたQちゃんの運命だったのかもしれない。彼の宿命もまたこうなるようになっていたのだろう、そう信じよう。成るようになった故のことなのだから、これでいいのだ。
あの時の私のプライドが「一緒になろう」という彼を許さなかった。腹いせか? 本当にあの時はもうQちゃんと結婚はしたくなくなっていた。
周りの友人は大好きな人と結ばれて永住権までも取れるのだから絶好の機会だと励した。夢が実現するチャンスが目の前にあった。本当にそうだった。けれど私のプライドがそうさせなかった。変な所で私は「馬鹿」が2つ付くほどの頑固者だったようだ。
Qちゃんは何も知らずに新聞を読んでいる。この姿もこの先変わることはないだろう。
私が死んだらQちゃんはどうしているかな。 Qちゃんがいない暮らしを想像するほど恐ろしいことはない。そうなった自分が恐くなることがある。Qちゃんが私を大切にしているのは確だし、 Qちゃんを大切に思う自分も確だ。運命はもう決まっているのだから「それ」が来るまで楽しめばいいのだ。
お茶好きなQちゃん、美味しいお茶を飲んで気分も段々ぽっかぽっかとしてきたようだ。日曜日のルイストンも晴れて好調。寿司ねたの買物をする前にドライブをすることにした。
ルイストンのメインロード21st street。このストリートには大手モールが立ち並んでいた。ここはかなり変わった。これからもどんどんショッピングモール街になっていくのが予想された。あの何もかも平和だった街ルイストンも変わりつつある、哀しいような、嬉しいような複雑な心境だ。ズンズンと21st street を上っていくとオーチャードに出た。
懐かしい。ここオーチャード周辺は変わりはないようだ。私がアメリカ人4人と初めて共同生活をしたのもこのオーチャードだった。Qちゃんがバイトをしていたドミノピザがまだ立っている。「あの背の低い眼鏡をかけたマネージャーさん未だ働いているかな」二人車中で想い出話に花を咲かせた。
オーチャードの長閑な住宅が立並ぶ静な田舎道を通り過ぎると、莫大な自然との対面だ。車を止めて「日曜日のある牧場」の写真を取る。






私が10分前に見た牧場の馬を特別だと思ってカメラを握るのにQちゃんは知らん顔。Qちゃんが興奮して私からカメラを奪って「このカラカラの草」の写真を撮るためにシャッターを押す。Qちゃんには特別なこと、私は全然関心が沸かない。お互い様ね、夫婦って。
そろそろスーパーに行って寿司のネタを買いにいかないと。Qちゃんと二人でルンルンと買物へ!
家に着いたのが午後1時半前。伯父さんと叔母さんは4時頃に帰ってくる。7時からロス宅でバハイ教の集い。集いの前はポットラックディナーだと聞いている。折角だから私も参加しようっと。
電子レンジの時計を見ながら寿司の準備を始める。懐かしいな、ここで寿司を作るのは。伯父さん、叔母さん、喜んでくれるといいな。

寿司を作ったらどっと疲れが出てきた。少し昼寝をしようと地下にあるQちゃんのベットで横になる。
伯父さんと叔母さんが帰って来たみたい。叔母さんの懐かしいソフトな甲高い声がする。声と一緒に台所の裏口のドアが開いて伯父さんと叔母さんの足音が天井に響いた。急いで髪を整えて階段を上がると、伯父さんと叔母さんがいた。




伯父さんをUncle Rhett (レット伯父さん)と呼ぶように努力したのだけれど、どうしてもRhett(レット)がUncle Rat (ラット=ドブ鼠)になってしまう。意識すればする程「Uncle Rat (ドブ鼠伯父さん)」と呼んでしまう。だから伯父さんの声を電話で聞くとつい無難な Dr. Dissner と口から出てくる。
ドブ鼠伯父さんと呼ぶのは、呼ばれる本人より、呼ぶ私の方が申し訳ない。ある日伯父さんから電話があった時に勇気を出して自分の旨を伝えることにした。
「長年教授と生徒という関係だったので、今直ぐラット伯父さんと呼ぶには不自然でどうもしっくりいかないんです。私の中では今でもあなたはDr. Dissner でラット伯父さんではないようです」と言い訳染みたことを受話器で伝えると「ははははは、君は面白いね。けど正直に云ってくれて感謝するよ。君の好きなように呼んでくれ」と伯父さんは云った。今でも伯父さんのことをDr. Dissner (ディスナー博士)と呼んでいる。
ヤキマから4時間のドライブをした伯父さんと叔母さん。お腹が空いているだろう。二人に寿司を用意してあるというと大喜びをしてくれた。

伯父さんも叔母さんも見ていて気持ちがいいほどに寿司を食べてくれた。残りは明日の仕事のランチに持って行くといい残して7時に始まる今夜のバハイ宗教の集いの準備を始めた。
ポットラックの御馳走はKFCでフライドチキンを買ってロスとオータムさん宅へ向かった。家に着くと昨日と同じ幸せそうな二人が出迎えてくれた。すでに他のバハイ家族やメンバーが温かい居間で寛いでいた。





食事の後はバハイ宗教の祈り、教え、会談で時が流れていく。写真撮影は宗教を尊厳する理由であえてしていない。
子供に交じって私はオータムさんが焼いた大きくて柔らかいチョコレートクッキーを3枚も摘んでムシャムシャと食べた。
アメリカ人の焼くクッキーはどうしてこんなに柔らかくて美味しのか何時も疑問に思う。そういう度にQちゃんは「また始まった!いい加減に僕の言葉を聞きなさい」というような呆れ顔で「べイキングはレシピに従って作れば"NANAでも"誰でも美味しくで出来る簡単な料理なんだ。NANAはレシピを無視するから駄目なんだよ!」と論理的に私の「ずぼらさ」を攻撃するQちゃん。 全くその通りで返す言葉がない。
クッキーを食べたのに、テーブルに座っているバナナクリームパイが誘惑の視線を投げかけている。
バナナクリームパイを初めて食べてみた。これが私好みの生クリームにカスタードクリームがたっぷりでとても美味しかった。パイは余り好きではないが「バナナクリームパイは違う」と私の脳にこれからは登録しておくことにした。
バハイ教の集いを終えて伯父さんと叔母さんと私達夫婦は家に戻った。キッチンでお茶を飲んで、家族の話、仕事の話、ルイストンの話、大学の話、12年分のライフ情況をアップデイトした。
伯父さんと叔母さんはペー君を見ると喜んだ。伯父さんがキッチンの奥の書斎へ行ってゴリラの雌を連れてきた。

ウェンディー叔母さんはアーティスト一家の生まれで彼女の創造力は実に面白くユニークだ。 彼女の趣味のランプ作りはトースターランプを先頭にどこで調達したのか不明だが美容院のパーマの機械がスタンドランプに生まれ変わったり、なんでもかんでも「あれれ?」と思うものがアンティークに早変わり。この家は「不思議館」のようで見るものに興味をそそられる場所でもあるのだ。


伯父さんは明日の朝の授業の為寝室に入っていった。叔母さんは夜型人間で今でも夜中までテレビを見たり、読書をしたりとライフスタイルは変わってないようだ。Qちゃんがこの家で居候をしていた頃は二人で一緒にそうして過ごしていた。 私はQちゃんと叔母さんを残してベットに身を任せることにした。

地下への階段を下りてQちゃんのベットに横になった。 明日はルイストンと別れる日だ。睡魔に包まれるのに時間は掛からなかった。