アメリカの郵便では差し出し人の住所と名前を封筒の左上に書いておくのが常識だ。
毎月の暮らしの請求書を払うために、私は小切手を書き、それを封筒に入れて、封筒の乾いた糊の部分をペロリと舌で舐めて張り付ける。 そして封筒の左上に自分の名前と住所をペンで書く。それが習慣だった。その習慣はハワイにいた頃も同じだった。
私は手紙を書くのが好きだ。電話やメールが普及された「早い伝達」が可能になったが、 自筆で誤字がある、内容の筋がまとまっていない、そんな「個人の手紙」を送るのが好きなのだ。
白紙に手紙の文字を通してその時の自分を手紙の相手に届ける。それが終ると封筒の左上に「自分の烙印」をしたためる。その流れが好きなのだ。
手紙の内容が歳を重ねて変わるように時代も変わった。友人への近情報告は今ではメールの方が楽になってきた。 請求書の支払いも e-バンクで済ますようになった。 いうまでもないが、今はパソコンなしでは暮らせない生活になった。
先週家の郵便箱に大きな薄緑の封筒が入っていた。 差し出し人はどこかの教会団体からだ。 見覚えがないが、最近やけに見知らぬ会社からジャンクメールが届くようになった。私の住所が含まれたメイリングリストがどこかで売られたのだろう。
封筒の中には私の住所が印刷されたアドレスシールが入っていた。このシールをはって寄付金を送ってくれるように促しているのだろうか。
封筒を使わなくなった今の暮らし。こんなにたくさんのシールを使い切るには何年かかるだろうか。
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今夜は仕事で遅くなる。晩ご飯の黄色スプレット豆スープをつくってから家を出た。
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いってきます。