どうも精神病の母の様態が思わしくないようだ。普段どんな時でも明るく振る舞う父が電話で云うくらいだから母の具合は「かなり」悪いのだろう。
ここアメリカで私が悩んでも解決はない。ならば無駄な心配をしないようにとソファーで経済雑誌を読んでいるQちゃんの隣に座ってみた。
Qちゃんは私を気遣って微笑んでくれている。 Qちゃんは何も云わないし、 無理に知ろうともしない。彼の沈黙は「母の辛さ、 孤独、 哀しみを息子として充分理解している」と物語っている。
「お母さん!」、「クデュース!」と娘の私が呆れるほど何度も呼び合って二人は仲良く金沢で毎日暮らしていたのだ。
Qちゃんは日本に住んでもいいかなと思い始めた時期があった。私の両親の家で「マスオさん」で居るのも愉しかったのだろう。
両親とQちゃんは仕合わせだった、私だけが仕合わせではなかった長い3年の月日。プロポーズの契約違反だと私はQちゃんをののしって暮らした。
もうずっと昔の事。
プロポーズの契約に「この先日本を離れて暮らすことがあるかもしれない。それでもいいか?」とQちゃんに聞かれた時、迷わずうなずいた。もう日本に未練は無かった。
だけど二人の結婚生活は日本でスタートした。だから契約違反だと私はQちゃんをののしって暮らした。
16年前。夜の成田空港。 まだ誰もいないガラリとした待ち合い室で一人不安と希望で胸を一杯にしてシアトル行きの便を待っていた。きっとあの夜から私は日本の家族を捨てたのだ。
母のことを考える。自分がいかに最低な娘だったか。Qちゃんは母と私の関係を知っている。だからこんな複雑な時はあえて何も云わないのだろう。
こんな遣る瀬無い時はQちゃんの沈黙の微笑みが胸に染みる。 私をこのままそっとしておいてね。 あなたが普段のままでいてくれる、それだけで私は心強い。
夜が明ける。鏡の前でつくり笑顔を作ってみる。気分はすこしダウン気味。
仕事に行く、いつもの仲間や 仕事のボスさんに会う。 一緒に笑う、戯れる。仕事で明るい人達と笑うだけで気が紛れて助かった。 自分を迎えてくれる職場や仲間と上司、心温かい人達が側にいてくれる、 私は守られいる。
お母さんのことを忘れようと思うんだけど難しい。65歳になって一人でお母さんの看病して、お父さん大変だったよな。ぐるぐる頭の中で「もう一人の私」と「ここにいる私」が会話してる。終りのない会話が続く。
「駄目、 駄目! どうすることもできないんだから、心配しても無駄。全て事の成り行きに任せよう」頭を左右に振ってみる。
自分に言い聞かせるようにこのブログを書いている。
そろそろQちゃんも帰ってくるころだ。 大切なQちゃんに晩ご飯を作れるだけでも恵まれているんだよ、 だから前を向いて歩きなさい。「もう一人の私」が「ここにいる私」に喝を入れた。牛肉、白菜、コンニャクの炒めもの
グリーンサラダ
トマト
ブロッコリー
ユーカンゴールドポテト
玄米
沈黙は人を成長させる。どこかで読んだフレーズだ。 この複雑な感情を「沈黙 = 感情的にならない」という形で処理をしていくこと、 これが今私に与えられたチャレンジなのかもしれない。