2008年1月12日土曜日

仕事の帰り道端で釘を見つけた。 教会の芝生に隣接した歩道でのことだ。 無視して家に帰る。

釘のことなどすっかり忘れていた。 いつもの教会の側の歩道を歩いている帰宅途中、あの釘を見つけた。 何故か心が高ぶった。「子供がこの釘で怪我をするかもしれない」そんな妄想が一瞬頭の片隅に浮かんだからだ。「そんなことはない」小声で自分に言い聞かせ家へ急いだ。

それから遅番が続き、夜道で急いでいて釘のことなど考えることもなくいつもの歩道を足早に帰る日が続いた。

ある晴れたオフの日の午後モールまでシャンプーを買いに行く途中あの歩道を歩いていた。あの釘は未だそこにあった。釘はもう2週間もこの道でゴロゴロしている。

その頃には私の頭にはこの釘への愛着心が芽生えていた。釘を拾って手の中で握り締めた。家に連れていくことにした。

ブログに書こう書こうと思いつつ、今日まで書かなかった。さびれた2本の釘はアパートの窓辺で2本でずっと佇んでいた。あの寒い歩道でも2本でずっと寒さを凌んでいただろう。

このブログを書いていて、ふと思った。この「錆びれた2本の釘」と「私達夫婦」には共通点がある。

テープで巻かれている2本の釘。離れることができないくらい、しっかりと巻かれている。 茶色く錆びつき、醜い姿になっても、2本はきつく結ばれている。

道に捨てられ、誰かのスニーカーで蹴られたかもしれない。雪交じりの雨に打たれただろう。誰の関心を得ることなく、その場にほうり出されていた。この釘もかつて若くて新品だった頃があっただろう。

Qちゃんと私もかつて若さに溢れてそこそこの生活をしていた。錆びてはいない2本の釘だった。2本は結婚というテープで巻かれていた。私はその巻き具合に満足していて、 テープが緩むことはないと思っていた。

3年前、Qちゃんと私を巻いていたテープがパラリと緩んだ。そのままユルユルとテープは剥がれ切れそうになった、 一時的に切れたというほうが正しいだろう。

私とQちゃんは3ヵ月程別居をした。私は両親のいる日本へ、Qちゃんはハワイに残った。別居の決断は正しかった。離れた2本の釘は互いの存在の必然を実感した。2本はオレゴンで再出発することにした。私は成田空港を達ち、オレゴンのポートランド空港で私を待つQちゃんのもとへ飛んだ。

Qちゃんと私は今まで持っていたものを全て捨てて、オレゴンで一から始めた。その時からQちゃんと私は錆びた2本の釘になった。2本は心を入れ換え夫婦という新しいテープで何十も何十もグルグル巻いた、これからは ちょっとやそっとでは緩むことがないように。

7年いたハワイを達ち、私達はオレゴンで新しい生活を始めた。知る人がいないオレゴンでも、二人だと安心。 雨が降っても、 熱い夏でも、雪混じりの大粒のひょうが襲ってきても、二人だと平気。やはり私にはQちゃんが必要なのだ。誰の関心を得ることなく、この場で二人ささやかに暮らす。それだけでいいのだ。

この2本の釘は 私達夫婦に拾われる運命だったのか? 私はこの釘2本に勝手な感情移入をしているのだろうか。 電話が鳴っている、もう5時過ぎだ。Qちゃんの帰るコールだ。

窓から眺める外も薄暗くなって車がライトをつけて走っている。電話のベルを鳴りっぱなしにしたまま台所に向かい夕食の準備に取り掛かる私がいた。
キドニー豆と挽肉カレー
サラダ
玄米

人生は自分の選択の証しだ。 誰の選択でもない、自分の選択の証しだ。