2008年8月17日日曜日

お盆の追憶

すっかり忘れていた。

日本はお盆連休。

連休に入院生活から家に帰ってきていた父と母と電話で話をする。

「元気だよ」という短い会話。 単調でリズムのない会話。

「お母さんを美容院に連れていってあげたんだ」そういうと父の照れ笑いが受話器から聞こえた。女とは幾つになっても特別な日(お盆)には綺麗でいたいのだろうか。

本当は「そんな当たり前のような母」が嬉しい。

母はいつもお盆に準備をして美容院に出掛ける。 父は母を美容院まで車で送り、その後一人家に帰り自分の時間を楽しむ。

美容院の後近所の小さなスーパーで供養のためと二人だけの祝いのご馳走を買うのだ。

3人娘は帰省しないにも拘らず「誰も食べない甘いおかし」も忘れない。

これが今までの流れだった。

去年の春頃から母の精神状態が不安定になり父が一人で看病をしている。

そして今年もまた同じように何もなかったように「二人だけのお盆」は過ぎていく。お盆の朝。1日遅いアメリカで娘の私はQちゃんの隣で目覚める。お父さん、お母さん。いつも一つの布団で寝ていたね。 お母さんの入院が長引いて、いまでは一人で寝るのに慣れてしまったでしょう。

二人で寝るのと一人で寝るのは違う。 結婚して二人で寝れる安心感と居心地の良さが私も判るようになりました。目覚めると世界で一番かけがいのない人の温もりを感じ「その人と今日もまた生きて暮らせる」。 それだけで私の暮らしは幸せに満ちていると思えるようになりました。家に帰るとたまにはご飯を作って待っててくれる。料理本を片手に洒落たフランス料理なんてありっこないけど、誰かがこんな小さな私を待っていてくれる。その事実があり難い。

お父さん、お母さん。

もう少し体調が回復してから報告しようと思い黙っていました。

仕事から帰って冷たいシャワーを浴びる私に「移民局から手紙が届いているよ」と水しぶきが走る透明のカーテン越しにQちゃんがいいました。

何の手紙だか知っています。 きっとアメリカ帰化申請の面接のことでしょう。

お父さんとお母さんには黙っていました。 特にお母さんには報告できません。 混乱させたくなかったから。

シャワーを浴びて濡れた髪を拭きながらQちゃんの隣で手紙を読みました。面接の日程が記されています。 試験もあります。

「Qちゃん、この日は仕事をオフにして私の面接に付き合ってくれる?」Qちゃんの優しい青い目を覗き込むように聞いてみました。

「Definitely」と迷うことなくいってくれるこの人の側でこれからもずっと生きていきたいんです。

お父さん。

「Qちゃんの側にいるのが一番。さっさとQちゃんのところに帰りなさい」と2年前この結婚生活に精神的に疲れ切って戻ってきた娘にいいましたね。

「本当に駄目ならまた戻って来てもいい」といって寝てしまった強がる父の淋しい姿。

自分が責任を持って守ってきた娘を信頼した男にたくす心境。

お父さんもお母さんもQちゃんの悪口は一言も言わなかった。金沢での同居生活で彼を知っているから。

「お前にはもったいない人だ。粗末にしたら罰があたるぞ。親のいうことは正しいぞ」何度そう言われたことか。

そんな二人の声が聞こえなくなったけれどそう思います。お父さんもお母さんも正しいなって。アメリカ人になったら「昔のような気持ち」でお父さんとお母さんのところへ帰れないような気がします。

私はもうお父さんとお母さんの娘ではなくて、 アメリカで「Qちゃんの奥さん」として生きていくから。

34年前に私を産んで育てることが二人のコミットメントだったように、 アメリカ帰化することはアメリカで「新しい私」を産んで育てていく私のコミットメントなのです。

二人にはまだ報告していないけれどわかるんです。

「そうか。良かったな」と言ってくれるって。

お父さんもお母さんも私はQちゃんの側にいることが1番の幸せだと知っているから。