2008年8月3日日曜日

おやっ

34年暮らしてきて色々なことを経験すると「おやっ」と思うことがある。

哀しい経験をするほど、その「おやっ」という発見をする。

それは哀れで悲観な感情になると「こんにちは」とズタズタとやってくる。

自分が地面をはう団子虫のように思えるとき、出勤中の道で他人と交すどうでもいい挨拶が価値のあるものとなる。

自分が蟻地獄でもがくムシケラのように思えるとき、友人の「意味がない」温もりに触れることで「少しの間だけ」地獄から救われる。

自分が何もできない情態に置かれたとき、遠く離れた家族と繋がることで孤独という暗黙に眩しい光が差し込まれる。

今年も大切な御主人の淳さんの誕生日ケーキを焼いた千寛ちゃん。7ヵ月の妊婦姿の千寛ちゃん。お腹がぽこっと出てきて可愛いかった。お腹だけぽこっとしてて綺麗なままの千寛ちゃん。命が宿る母体。その強さが凛々しく身体ににじみ出ている。

お転婆な千寛ちゃんは保育所のときから「弱虫の妹」の守り役。

今はもう守ってくれる距離ではなくなってしまった。

「弱虫の妹」は自分で守っていかなければならなくなった。

此から千寛ちゃんは「我が子」を守っていくんだ。

千寛ちゃんが段々と離れて行く。 それは判っていたこと。

姉も弱い部分があるだろうが、それを妹の私には見せていないだけ。

淋しいな。弱いな。最近のわたし。人恋しくなるなんて。

今夜私が「おやっ」としたことだ。

この「おやっ」という発見は自分の弱さに驚くことだ。

「一人でも平気、私は一匹狼よ」と普段は強がる自分が本当はヨロヨロと道に倒れ込む負け犬だと認めざるおえないときフツフツと湧き出るのだ。

この歳まで生きてくれば気になることがあっても「泣けば済む」と他人を見るなりワーワー泣き叫ぶ子供のようにはなれない。

ここで子供のように涙と鼻水を垂して人目を気にせずワンワン泣けたらどんなに気が晴れるだろう。

それができなくなってしまった、涙が出ない。

気を使ってくれる人達に「何もかも大丈夫、心配するのはよしてよ。私は強いの」と偽りの笑顔まで作れるスキルも身に付けた。

あの赤い縁眼鏡をかけたおばさんだって、あの黒い帽子のお洒落なお兄さんだって、 向こうのごみ箱の前で屯して煙草を吸う大学生のアンチャン達だって皆同じ。

大人になればこんな「少し嘘つき」スキルを学ぶのだ。 なにも私だけ特別ではない。

皆そうやって生きて暮らしているんだから。

晩ご飯:

バーベキューポーク
ガーリックブロッコリー
トマトとラディッシュサラダ
玄米

明日がくる。働ける職場がある。笑わしてくれる友人がいる。 ランチをもって行くことができる。無事過ごせたこと。それって幸福なことだよ。