2008年4月30日水曜日

誰にでもあること。

昨日はオフだったので鼻をグズグズさせながら図書館に行って本を返却してきた。

日本文庫を読みたいと今回私の注目を獲たのが岡野あつこさん編著「離婚--その後」(恒友出版)だ。 図書館の二階の静かなソファーに腰を下ろしてページをめくって離婚経験者の声に耳を傾ける。

離婚する人間の理由に「性格の不一致」というのが挙げられている。

結婚とは「自分、自分」になると成立しない。逆に自分を完全に失ってしまうと自我喪失し、相手を魅了する素質も色焦ていく。

結婚は配偶者の責任を互いに持つという社会的契約だ。私とクデュースは努力を重ねてきたし、これからも重ねていく。

日常生活で起こる予期せぬ出来事に戸惑いながらも「その時に二人でできる対処」をしていく。 例えその結果が心地良いものでなかったにしても「何かを二人で経験し得たもの」があればいいのではないだろうか。

離婚を考えたことは、この本に登場する人達と同じように何度でもある。彼らと私の違いは「家を出て一人で生きる自信と勇気がなかった」だけのことだ。

妻の我がままをどれだけ受け入れられるかとクデュースを試していたことも心の片隅で認めざるえない。

私は「自分、自分」で大きな顔をしてきた。そしてある時クデュースが絶えられなくなった。 それからドンドンと「それまでの暮らし」から「悪夢の暮らし」に一変した。

その時初めて真剣に離婚を考えた。 法的なこと、経済的負担や仕事のこと、子供がいないことが救いだった。仮に子供がいたら、それもまた生きる動機になっていただろう。

クデュースが望んだこと。

「愛しているのは確かだ。希望はしていないが離婚は君が望むならしてもいい。今は互いに感情的になるだけで話が進まない。だから離れて暮らしてみよう。 その後結果を出してみよう。」

優しく「出ていってくれ」といわれているようで哀しさと怒りで彼の気持ちが理解できなかった。愛しているなら何故側にいさせてくれないのか。

3か月後、私は日本へ飛んだ。 クデュースとは味気ない別れだった。今までの泥沼を全て観察していた義理のブルークスパパがスーツケースと疲れ切った私を空港へ運んでくれた。

別れ際の空港でブルークスパパの胸で泣いた。ブルークスパパの胸で泣いたのは2度目だった。 ブルークスは「君の人生だ。ベストの結果を出すように時間をかけて決断しなさい」と力強く抱きしめてくれた。私は7年住んでいたハワイ島を後にした。

日本では両親と水入らずで過ごせたし、自分がどれだかクデュースに対して労ってなかったかを知る。自分なりに労ってきたつもりだったが、それは彼にとってプレッシャーだけだったのだろう。 彼がブレイクダウンして初めて自分は彼を知らなかったと判った。 相手のことは心あらずだった。

クデュースと一緒に暮らす。NANAと一緒に暮らす。 二人が別居をして学んだことは「二人で一緒に生活をしたい」両者の変わらない感情だった。

もう一つ私が学んだクデュースとの結婚を持続するとても重要なこと。

彼を社会的オブジェとしてではなくて、強くもあり弱くもある生身のクデュースを受け入れる努力をこれからは怠らないこと。

その改心を誓って新居地のオレゴンで新婚生活を始めた。いまのところ順調で快適だ。

決断は自分がするもの。 クデュースと離婚していてもまた違う道を歩いているだろう。 男がいないと淋しいから誰かと共に暮らしているかもしれない。

それでも「後悔」か「幸福」かは自分の心が決めること。 過去の男(女)のせいでもない、 自分が彼らと関わった自発的行動なのだから自分にも充分に責任があるのだ。

Qちゃんとの「悪夢の暮らし」の期間は心にユトリがない不安な毎日。癒しの晩ご飯を作ることさえできない状態が続いた。 Qちゃんはいつもテイクアウトで晩ご飯やジャンクフード。 私もQちゃんも「基本的な暮らし」ができない「地の底」にいた。

けど良かったと思う。あの「地の底」をQちゃんと二人で体験して。あれがあってQちゃんのことを精神レベルで愛しまれるようになれたのではないか。パイナップルチキン
アスパラガス&キャロット
ターキーとヒヨコ豆サラダ
フライドポテト
玄米

今晩もあなたが帰ってきたくなるような晩ご飯とぺー君を肩に抱いてあなたの帰りを待っています。だから一人にしないでね。