2008年4月14日月曜日

一番欲しいもの

私は「欲しい」と思うことがあまりないのではないかと思う。「欲しい」というのはデパートに並ぶ服や靴、何か外見で見えるものだ。

今までの生い立ちで、まだ死んだことがないが「死ぬ程手に入れたい」というものに出逢ったのはアイダホ州の大学を卒業してからの「アメリカでの労働ビザ」だ。

その為に一人ニューオリンズに飛んだが、数ケ月後にそこで私を待っていたのはワシントン州スポケーン移民局からの手紙だった。

労働ビザの申請を却下されたのだ。理由はここで書くのも億劫な程馬鹿げていた。 「法律の力」とは時にはあぜんとするほど非合理だ。世の中は不公平や不平等が自由の國アメリカでは存在すると痛感した。

色々と手を尽くしたが自分で獲得することはできなかった労働ビザ。 あの時の悔しさは言葉では言い表わせない。「無念」とはあの時初めて体験した。

せめて日本に帰国する前にアイダホ州の友人に逢ってお礼を云うことにした。

私は丸3日かけてルイジアナ州ニューオリンズからグレイハウンドバスに揺られてアイダホ州ルイストンのバス停に帰ってきた。ニューオリンズで結婚を拒否され1ケ月前にルイストンに帰っていたQちゃんが変わることのない笑顔で「お帰りなさい」と私を待っていた。

当時大学に残る数少ない友達とルイストンの夜を過ごした。2日後 蒸気の上がるフリーコーヒーを片手にした友達に見送くられながら朝一番のシアトル行きに乗って私は小さなルイストン空港をあとにした。 18歳の私がスーツケース一つでこの空港に着いたのが昨日のことのようだった。

Qちゃんは空港には姿を見せなかった。 私が日本に帰国するという淋しさもあって二人は些細な喧嘩をしたのだ。

チケットカウンターに行くと私宛に黄色い華束が届いていた。 カードにはQちゃんのつたない日本語のメッセージが書かれていた。内容は今となっては想いだせない。 あの時はQちゃんのことより日本に帰らなくてはならない自分が惨めだった。

朝早いシアトル空港はカフェの匂いが漂っていて、 ビジネスマン達が姿勢をただしてベーグルとコーヒーを朝食に新聞を読んでいた。彼らはこれから全米の大都市に飛び立って会社と会社の契約を結ぶためにプレゼンテーションや交渉をするのだろうか。 そう思うと自分が惨めでならなかった。

あの頃の私にとって労働ビザを獲得することは「人生のゴール」だった。それを獲ることができない悔しさ、いじらしさ、怒り、自分の無力、無知、無能力。 そんな想いを胸に一人シアトル空港でQちゃんに手紙を書いていた。 それが最後になるかもしれない手紙だ。

アメリカでの留学生活が充実していたのはQちゃんの存在があったからだ、空港を去る飛行機の中で彼への想いを巡らせた。

過去を惜しんでも、喜んでいても人間は「現在」に触れて生きている。 獲られないものをねだって気分を害するか、それはそれで仕方がないと神経を他に向けるか、 それは本人のマインドコントロール次第だ。

長い間私は前者だった、どれだけもがいても、叫いても、獲る資格のない者には獲られないのだ。 当時の私には獲る資格がなかったのだ。

就職難だった日本に帰国して、幸い英語講師として就職もできた。段々虚しさが薄れていくほど仕事が忙しくなってきた。それからQちゃんと日本で籍を入れた。結婚5年目にしてアメリカ人の配偶者として永住権を申請した。

永住権を申請する前にQちゃんと私は9ヵ月アメリカと日本で離れて暮らした。Qちゃんはアメリカでの必要な書類を準備し、私は日本での必要な書類を準備して面接日の2000年4月の始めに赤坂にあるアメリカ大使館に一人で出向いた。

だだっ広い待ち合い室ホールで自分の番号が呼ばれるまで一人で静に本を読んでいた。周りは家族やカップルで一杯で、彼らは時間潰しに御喋りをしているので不安そうではなかった。

「獲たいものが獲られなかった」という過去の経験から蘇る恐怖が私の心の隅にあった。 Qちゃんという配偶者がその場に在籍しないというのも私を不安にさせたのだろう。

面接はスムーズに終った。

窓越しの面接官はまだ20代後半の白人女性で、Qちゃんがタコマ生まれでノースウエスト育ちだと書類で知ると「私もノースウエストのシアトルっ子よ!」と微笑んでくれた。 きっと一人で出向いた私を励ましてくれた彼女の心ずかいだったのかもしれない。

同時に彼女の対応と言葉は「あなたは永住権を獲る資格のある人よ。許可をするわ」という表れだった。「獲る資格のない者には獲られない」昔苦い経験をしたがそれは事実だ。その過去あっての私は「永住権を獲る資格のある人間」になっていたのだ。

運命はもう決まっている。 明日起こる事、 明後日起こる事、 2年後に起こる事。私はそれを知らないだけだ。

あの時の労働ビザを却下された無念さは未だ心の中に残っている。けれど5年後永住権を獲た時、 見えない自然の力で流されるという「無理なくしての獲得」だった。

人生には「タイミング」があるという。「今するべきだ」と云う自分の直感だ。

しかし、自分の「心」がどんなに欲していても「環境や能力」そして「運命」が備わっていなければ「事」は生じない。「事」が起こらないのは、そうなるようになっているのだ。「事」が起こるのもまた、そうなるようになっているのだ。

2000年5月にグリーンカードを手にしてQちゃんの待つハワイへ飛んだ。あれから8年、日本への想いが薄れていき、 益々アメリカの大地へと根付いていく。

今年に入り私の脳裏に「アメリカに帰化するべきだ」という言葉が強くもちあがる。私の「心」が欲しているのだろう、そしてもし今の私に「環境や能力」そして「運命」が備えていれば「事」は生じるだろう。そうでないならば、また違う暮らしをしているだろう。

明日私はアメリカ帰化への書類を申請する。

Qちゃんと二人で書類を記入して、確認をして、書類を封筒に入れる。そこまではQちゃんも協力出来る領域だ。 後は私の「事」の成り行きを待つだけだ。

Qちゃんが眠った夜、私は一人で封筒に切手を張り付けた。 そして明日の朝一番で私は一人でこの封筒を投函する。