2008年4月9日水曜日

ジムさんのお母さん

私がQちゃんと付き合ってからQちゃんはたくさんの「バハイ友達」の名を出して彼の青年時代の想い出話をしてくれた。もちろん青春話は全てこのノースウエストでのことだ。

あれから長い歳月が立ってノースウエストに戻ってきた。あの時に聞いたQちゃんのバハイ友達と私も逢う機会ができた。

彼らはもはやQちゃんの「昔の友達」ではなくて、 Qちゃんの「身近にいる友達」に再び戻ったようだ。 そして私も友達ではないが、ノースウエストに戻ってきた以上何らかの形で彼らを知ることになりつつある。

ジムさんも、そんなQちゃんの青春時代にかかせない人物だった。

ジムさんはQちゃんが高校生の時からの友人で、当時ジムさんは大学生だった。ジムさんはQちゃんのお兄さん的存在だったのだろう、ジムさんの名前は何度も何度も聞かされた。

オレゴンに戻ってきてから、 青春時代に行ったアイダホ州のインディアン保護地区ラップウェイに何度も足を運ぶのもジムさんや他のバハイ青年と一緒に行った想い出を再現しているからだ。もちろんジムさんも一緒にこの企画に同行している。

友情とは強いなと思う。私のいう友情とは、この場合「宗教=精神」で繋がる友情のことだ。

Qちゃんはバハイ宗教とともに生きている。Qちゃんの生活はバハイ宗教が真髄だった。

「だった」と述べるのは、彼が私と結婚してから、日本、台湾、ハワイと移動している間はノースウエストにいた頃のように活動的にバハイ宗教に貢献していなかったからだ。

新しい土地へ行っても、社交好きなQちゃんには絶えず友達がいた。しかし彼らのように「宗教=精神」で繋がる友人はいないと淋しそうにしている姿をよく目にした。

オレゴンに帰り、彼が「宗教=精神」で繋がる友人達との再会にこぼれんばかりの笑みを浮かべたり、 心から笑っていたりするのを見ると、私までノースウエストに帰ってきてほっとするようになった。

Qちゃんはノースウエストの水があうのだろう、 それは本人が絶えず云っていたことだ「いつかはノースウエストに帰るよ」と。

ジムさんはQちゃんにとって兄貴のような存在だ。毎週我が家で行われるバハイ教勉強会に参加してくれる。

ジムさんは頭の回転が早くていつも冗談を云って皆を笑わせている。勉強会の間私は隣の部屋で読書をするが、よくメンバーの笑い声が聞こえてくる。それはジムさんの冗談や滑稽話を聞かされたからである。男達の笑い声が聞こえる度に、私も何故か安心するのだ。

最近ジムさんの姿が見えない、仕事が忙しいと聞いていた。しかしある事実を知る。ジムさんのお母さんがかなり深刻な様態で看病につきっきりだったのだ。

Qちゃんをはじめ他のメンバーもジムさんのお母さんに祈りを捧げる日々が続いた。

先週のことだ、2週間振りにジムさんがバハイ教勉強会に来てくれた。 ジムさんのお母さんが亡くなられて2日が立っていた。

ジムさんはいつもの様子で皆を笑わせていた、とても哀しんでいる人間には見えなかった。

ジムさんがメンバーに云った「母親が死んだあと、哀しみや怒りや安堵という色々な感情が頭の中を駆け巡っていったよ。 シャワーを浴びながら叫んだこともあった、 気が付くと喉の血管が破れて血が流れていたんだ。それだけ大声で叫んでいたんだね。」

ジムさんはセピア色になった写真を見せてくれた。写真には若し頃のジムさんのご両親、その腕の中には幼ないジムさんが写っていた。

ここ数ケ月癌で体の彼方此方が痛いと訴えていたジムさんのお母さん、何もできずに見守るジムさん。そんな日々が過ぎていく、そして2日前に「そんな日々」が終った。

ジムさんのお母さんの死にはおかまいなしにまた朝が来て、私達はいつものように仕事に行って家に帰りご飯を食べて布団に入る。何事もなかったように暮らしていく。人間は果無いと思った。

ジムさんにとって母親という存在は忘れることはないだろう。 が、人はいつかいなくなるのだ。生き残る者はそれを受け止めて、また暮らしていかなければならない。

自分も同じようにいつかはいなくなるのだ、 誰かにとって自分という存在が特別であるかもしれない。 生き残る者はそれを受け止めて、 また暮らしていく。

今この瞬間、大坂で、シンガポールで、カルカッタで、マンチェスターで、モスクワで、 大切な人の死を受け入れなければいけない人がいるかもしれない。彼らは「愛する人の喪失」という重苦しい扉を目前にして苦悩するだろう、しかしその事実を受け入れていつかまたその扉を開けて生きていかなければいけない。

私もそうだ。Qちゃんが死んでしまったら、途方もなく荒れ狂うだろう。淋しくて、恐ろしくて、どうして暮らしていっていいか判らないだろう。生き残った私は、早かれ遅かれそれを受け入れてまた生きていかなければならない。

そう思うと「私の人生」は果無い。それでも与えられた生命を生きる、生き抜く、生きていかなければならない。「生きる」とは最終的には自分への挑戦なのだ。

晩ご飯: 韓国料理に使うおもち(?)を貰ったんだけど、食べ方を工夫してパスタにしてみた。ミートソース韓国餅パスタ
ツナサラダ

先日ジムさんからメールが届いた。それはQちゃんと私が贈ったジムさんへの小さな心遣いへの感謝の返事だった。

メールには彼の写真が付加されていた。疲れて眠っているようだが、、、「二人の優しさに感激してぶっ倒れているんだ」といつものジョークで笑わせてくれたジムさん。ジムさんは強いなと思う、 悲しみを笑いに置換えてまた普段の暮らしに戻っていく。 生きるってこういうことなのだ。