Qちゃんと夕食を食べているところだった。電話が鳴った。 電話の主は誰だか予想できた。
「あっ、お母さん! クデュース元気!」受話器をとったQちゃんの言葉が寝室から聞こえる。そのまま私は夕食の黒豆ソースの揚げ豆腐を食べ続けていた。「ななちゃんいるから、あの、ちょっとかわる。ちょっと待ってて」というとQちゃんは大きな声で私の名前を呼んだ。
私は目の前にあるトムヤムスープをゆっくりとふたくち飲んで寝室に向かった。
日本の家族から電話がかかってくるとQちゃんが必ず受話器をとって日本語で少し世間話をしてから「主役の私」に受話器をバトンタッチするという型式が二人の間では成立している。
電話嫌いな私と人と話すのが好きなQちゃん。 Qちゃんにしてみればこの家でオペレーター(電話対応)をすることは苦にならないようだ。
お母さん? 元気? 久し振りだね。
「うん、元気やよ。ななちゃんは元気?」
うん。元気や。 今東京に来とるんやろ?
「うん。 今、お母さん東京の千寛のところに居るんや」と母の声はいつものように舌がもつれて重々しい。しかし会話は順調だ。
「けど、、、お父さん入院したんや。 疲れとったんやろうな」母は説明もなくボソボソと哀しそうにユックリ受話器の奥で語りかける。
それは私にではなくて自分に語りかけているようでもあった。
昨日青森から東京にきた父と母。 病院から退院して充分な休養をとらずに東京行きの切符を買ったようだ。
父は1ヵ月前に癌だと告知されたのだ。
青森には適切な癌医療施設がないので東京の癌専門医療施設を訪れる予定で東京に父は来たのだ。
新幹線から下りる父は歩けない状態で車椅子に運ばれて東京駅の待ち合い室から救急車で病院に運ばれた。そして父は緊急でそのまま東京の病院に入院することになった。
母と受話器をかわった千寛ちゃんがそのいきさつを淡々と説明してくれた。
再び母と話をすることにした。
1年前病院に入院しているときは「ななちゃん、今日本から電話をかけとるん?」などと私がオレゴンにいることを把握していないころもあった。
(今はどうだろう。 少し恐いけど聞いてみよう。)
お母さん、私今どこにおるか知っとるん? 少しひょうきんな口調で受話器の向うにいる口数の少ない母に聞いてみた。
「うん、 アメリカのポートランドやろ」受話器を通じて何だか心がほっとした。母の思考や記憶が安定してきているのかもしれない。
(今の状態のお母さんならアメリカに帰化したことを私の口から直接報告しても大丈夫かな)
お母さん、お父さんとお母さんにブログを通して手紙を書いたんだけど読んでくれた?
「ああああ、読んだよ。お母さん始めてパソコンでお手紙書いたよ」
(なんだって? ブログで始めてお手紙を書く? 母は何のことを言っているのだろうか。)
(そんなことよりも「帰化したこと」を読んでくれたのだろうか。そしてどう想っているのだろうか。)
お母さん、私今月の初めにアメリカに帰化したんや。 法的にアメリカ国籍を取ってんて。ブログにそう書いてあったやろう? 読んでくれたけ?
「覚えとらんわ。 ななちゃん日記書くの上手やね」
あらよっと。なんだかツルッと濡れた道路で滑べった感じ。
母が深刻な声で「もう日本人ではないんやね」と哀しげに反応してくれると自分で悲劇のヒロインになっていた私。
母の思考能力が低下していることもあるのかもしれないし、お父さんの子供だから「好き勝手なことをしても仕方ない」と別に気にもしていないのかもしれない。
「千寛ちゃんに換わるね」そういうと母はさっさと姉に受話器を渡して部屋の奥に消えたようだ。
千寛ちゃんの体調のこと、父の病態のこと、今朝の献立のこと、淳さんのビジネスのこと、 アメリカの経済低迷のことなどを軽く喋って「明日は美保が家へ遊びに来るの。だからお母さんと3人でゆっくり過ごせそう。 ななちゃんも近くに住んでたらよかったんだけどね」そういって姉妹の会話は終った。
どんなに離れていても同じ両親の元で暮らした私達姉妹。父や母がいなくなってもこうして電話で会話をしていつまでも姉妹なのだろうか。
40歳になっても、50歳になっても。そこまで生きれるかな私。
そう思うと「姉妹」って「心強い友達」とはまた違う意味での財産だ。
電話を切ってQちゃんに父のことを報告する。 私は気分がそわそわして落ち着かない。 冷静に装ってみたがその夜はどうも心が動揺していた。
そのせいか過食に走った。 Qちゃんが林檎と桃を切って皿に入れて運んできてくれたが私は拒否してキッチンの戸棚にある炭水化物を腹を空かしたハイエナのようにむさぼった。
寝る前にパソコンを開いてみたら千寛ちゃんアドレスでメッセージが届いていた。
9ちゃんと7へ
おかあさんは東京にきていまます
めーるみました
母より
「お母さん始めてパソコンでお手紙書いたよ」母の声が蘇る。 母は電話でこのメッセージのことを言っていたのか。
「東京にきています」が「いまます」になっていても、「メール」が平仮名の「めーる」のままでも、文章の終りに点がついていなくても母が送ってくれたメールは嬉しいものだ。
母はまだ生きているという実感が沸いてきた。
父のこと、母のこと、千寛ちゃんの出産のこと。 もんもん考えても何もできないのだから気にしないようにして私はここでの暮らしと人に感謝していればいいのだ。