「明日お父さんとお母さんが東京に来るのでよかったら、 ⑦と⑨の写真をブログに載せてよ。 私のパソコンで見せてあげるから」
千寛ちゃんはいつもこうだ。 自分のことより家族のことを一番に考える人。
昔は3姉妹の中間であるために「我がまま」とか「自己中心」とか「甘え上手で必ず欲しいものを手に入れる調子の良いお姉ちゃん」などと1歳年上の千寛ちゃんを見てブーブー文句をいっていた頃もあった。
しかし大人となって社会に出てみて判ったのだが「千寛ちゃんタイプの女性」は男にとって「ズル賢いがどこか目が離せない魅力の女」なのかもしれない。
要するに自分の意志が明らかでコミニケーションがディレクトなので男には分かり易いのだ。(女には強過ぎるのかもしれないが。)
しかし言ってみれば「自分を持っている女」でもある。
この点は私も譲らないほどの「自我」がある。そして人生チャランポランに暮らしている自分を私は結構嫌いではない。
今日職場でシアトルにファックスを送信するときに気がついた。
10月15日。
今日は千寛ちゃんの誕生日だ。
アメリカからプレゼントを送ったり、誕生日カードを東京まで送るなんて可愛いことをする妹ではない。 それは彼女も「私という人物」を知っているから頼みもしないし望んでもいないだろう。
いつもお世話になっている千寛ちゃん。あなたの誕生日なのでご要望通りに「Qちゃんと私のオレゴンでのホンワカ夜の過ごしかた」というタイトル写真をお父さんとお母さんへのメッセージとして以下載せておきます。
お父さんとお母さんへ
2年前の青森での初夏を思う存分家族3人で暮らせてとても愉しかったです。
あの充電期間があってお父さんやお母さんがいっていたように「Qちゃんが暮らし易い家庭環境」を第一に考えて暮らせるようになりました。
言わなくても判っていると思いますがQちゃんは相変わらず誠実で優しい私にはもったいない旦那さまです。毎日大切にしてくれます。
私も彼を大切にしているつもりです。 (パソコン前に座る私にソファーで投げキッスをしているので多分私との暮らしに満足しているだろう。)
変わったことといえば私もまた働き始めたのでQちゃんがオフの日はご飯を作って待っててくれることかな。
Qちゃんはラニママやブルークスパパが子供の頃からよく仕付ておいてくれたので私よりも掃除や洗濯が上手なので助かります。 料理だけが私の得意分野なので毎晩私が愛情料理を作っています。
今日はQちゃんの仕事がお休みでした。
私が仕事から家に帰るととってもいい匂がアパートを包み込んでいました。
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これはアメリカではよく食べられる芋です。 金沢でよくお母さんとQちゃんと薩摩芋を食べていましたね。 Qちゃんはそれほど甘い芋が好きなんです。
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食事が済んだら二人で30分の散歩をします。
最近は寒いことを言い訳に散歩を怠っていました。だけれど今日は20分だけ二人で散歩をしました。
「散歩の替りにお部屋で30分エアロビックスをしようか」とQちゃんがこの前私にいいました。
「お母さんと僕とななちゃんでエアロビックスをしていたこともあったね」と金沢での昔話もよくしています。
こないだまで布団をかけずに眠っていたのに、今では布団から出るのに気合を入れなければいけない程寒くなりました。
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Qちゃんの好きなレンズ豆にたくさんのタマニギと卵、それに米粉麺を入れて即席スープを食べました。
覚えていますか。
2年前にお父さんとお母さんの家の居間にあった「ガラスの夫婦鳥」。
今まで連れ添ってきたお父さんとお母さんの夫婦の象徴のように思えてなりませんでした。
2ヵ月後お父さんとお母さんの巣から娘の私はオレゴン州で待っているQちゃんの元に再び飛んで行きました。
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あれから「ガラスの夫婦鳥」は「私とQちゃんの夫婦の象徴」になりました。
私が一番苦しんでいた頃励ましてくれたハワイのじゅんさんともメールで連絡できます。
ここオレゴンに移ってからも親切にしてくれる人達は不思議といるものです。
言葉ではいいつくせない程の人の優しさ。 私は素晴らしい人に助けられて暮らしています。
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お父さんとお母さんへの手紙にもよく書いてましたがオレゴンではひまわりさんととしさんには本当にお世話になっています。
尊敬できる人生の先輩がいるというのはなんと幸福な環境にいるのだろうかと思えてなりません。
ここ1年でお父さんとお母さんの生活にいろいろなことがありました。
「老い」とは皆避けることはできないのですか、お父さんとお母さんが弱くなっていく姿を見るのか恐い自分が存在するようになりました。
もう34歳ですから「何を子供のようなくだらんことを言って!」と怒れても当然です。
お父さんとお母さんの体が小さく見えるにつれて「もう濱田の娘ではなくて、Qちゃんの妻として生きる時がきたな」と今年に入って私は深刻に考えるようになりました。
13年前にQちゃんと結婚をした頃はアメリカ国籍を取ることは全く考えていませんでした。
いつか自分の両親がいる祖国日本に帰るかもしれないという気持がどこかにあったのかもしれません。
しかしQちゃんとオレゴンでゼロからやり直してその気持ちが失せてしまったのです。
「この人といっしょに暮らしていきたい」と心から願うようになりました。 この人と同じ国籍を取りたいと思うようになりました。
それはお父さんとお母さんが「この人と死ぬまでいっしょに暮らしていきたい」と心から願うのときっと似ている感情だと思います。
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今までは濱田の家の巣でぬくぬくしていたけれど、これからは本当にQちゃんと二人でアメリカで自分達の巣をぬくめていくと決心しました。
二人だけの小さい巣です。
だけど私にはとても暖かくてどこよりも安心できる巣なんです。
Qちゃんの側でこうして暮らせること、それは私がこの世に生まれてきた理由なのかもしれません。
お父さんとお母さん、今まで育ててくれてありがとう。 これからはQちゃんの片足になって生きていきたい。
また二人の間に辛いことが起こるかもしれません。
今度は自分で処理できるような自分に備えておきたい。
それでもきっと彼の元を離れることはないかもしれない。やっぱり彼の側にいたいから。