2007年10月1日月曜日

「幸福な食卓」を読んで、、、

瀬尾まいこさんの「幸福な食卓」(講談社) を読んで日本社会の中での役割、 家庭の中での役割について考えさせられた。社会で決められた役割に縛ばられてもがく生き方は後免だ。 その役割を放棄したとき、人は自由になれる生き方ができるのではないだろうか。

社会の中で生きる。社会の中で働く。社会の中で学ぶ。社会は家族という小さい集団の集まり。家族という集団は一個人がそれぞれの役割を持って平和な生活を営むのが望ましいと考えられている。父親は会社に行く。母親は子どもを育てる。長男は妹の面倒をみる。妹は可愛く優しければいい。なんて典型的な日本社会で決められた役割を心の底から満足できるのだろうか。

私にはできなかったし、したくもなかった。 だから放棄した。

日本社会に従った生き方をしていないと、あ~だ、こ~だと批判される。日本では大人から子どもまで苛めの社会構造を作りあげている。私も被害者の一人だったような気がする。

12年前に大学を卒業して日本に帰国した。結婚して3年ほど日本で暮らしてみた。4年付き合った好きな人と結ばれたにも拘らず毎日息が詰まる不幸せな暮らし。

理由は自分の心中にあった。しなくていい日本社会の仕来りや世間帯で自分の役割を演じようとしていたのだ。

日本で暮らすアメリカ人の妻としての良妻賢母の要求、23歳の女性としての生き方、、、、etc。旦那の友人の奥様達(国際結婚している年輩の日本人妻)からのバッシング。国際結婚しているというだけで後輩/先輩呼ばわりされて、なんで知らない人から、私とQちゃんの私生活までドタバタと足を踏み込まれなくちゃいけないの?

私は彼女達のようにクッキー工場(日本社会)で作られている皆同じ形(役割)にはめ込まれて作られるジンジャークッキーじゃない!皆同じ形のジンジャークッキーじゃ面白くもなんともない。不格好な方がよっぽどまし。不良品だから工場のごみ箱から捨てられたほうがましだ。こんな私の考えを面白いと解釈する人は当時の私の周りにはいなかった。 彼女達には私は我がまま、世間知らず、生意気な女にしか見えなかったのだろう。

どんなに足掻いても私も日本人。日本社会では歳上の人に逆らうのは好ましい行動ではない。 じっと我慢したのを覚えている。アメリカにいつかは帰ると決めていたから "あなたと私は踏む土俵(日本とアメリカでの日常生活)が違うでしょう?"と心の中で反発してた。やっぱり当時から生意気だった(笑)。

日本、アメリカ、世界中どこに住んでも、自分に自信を持って好きなように生きることが望ましい。 集団社会の批判の中で生きるには時として至難の技だろうが、 この批判のいばらの刺道を通り過ぎれば自分らしく生きられる強い自信と自我が自分に備えられているはずだ。私はそうでありたいし、そうやって生きていく。誰に何を言われても。

毎日ささやかだけど、何かに感動して、何かに悲しんで、何かに喜んで、今の正直で信実の私の暮らしをブログに残しておきたい。この本を読み終えてそう痛感した。

今晩はQちゃんがバハイ教の地方会議に行っているので私一人で晩ご飯。 一人だって手を抜かないわよ!




  • 鳥肉のスパイシー煮
  • 蒸しカボチャ
  • 大豆、 大根、 人参、 緑菜の炒めもの
  • 生野菜サラダ
  • 玄米
ご飯を食べてるとQちゃんが帰って来た。はいはい、お帰りなさい。寒かったでしょう。

ただいま!

今日も無事に過ごすことができました。 生きていることに感謝。