2007年9月1日土曜日

Love ちゃんのいくらの醤油漬け---父の想い出

仕合わせさんの娘さんLove ちゃんはお母さん想いの可愛い21歳のお嬢さんだ。Love ちゃんは只今アラスカ州でお仕事をしている。アラスカ州のイメージはやはりアラスカサーモンだろう。美味しいアラスカサーモンをLove ちゃんは食べて元気に頑張っているのだろうか。

Love ちゃんは先日お母さんの仕合わせさんにアラスカから小包を送った。中には彼女が作ったいくらの醤油漬けが入っていた。仕合わせさんはその貴重ないくらの醤油漬けを快よく分けてくれた。

家に帰って早速味見をしてみた。旨い!旨い!旨い!Love ちゃん初めてにしては上出来だ。

醤油とお酒の割合も調度良く小粒のいくらの濃厚な味がよく引き出されている。


さっそく手巻きにした。うーん、まろやかで、美味しい。仕合わせさん、Love ちゃん有難う。ごちそうさま!

Love ちゃんのいくらの醤油漬けは、私の父が金沢で作ってくれたいくらの醤油漬けを想い出させた。


私の父は青森県下北半島の漁師村の出身だったので、 私は子供の頃からイカの塩辛、 雲丹缶、筋子、 イカ寿司、 青森下北の珍味を知っていた。父の第二の故郷金沢もまた魚の旨いところなので、 漁師育ちの父の口を飽きさせることはなかった。仕事がオフになれば朝市に母とよく新鮮な魚を買いに出掛けていた父。新鮮なイクラが手に入ると醤油漬けにしてアツアツのご飯にかけて食べさせてくれた。Love ちゃんのいくらの醤油漬けはその時の味と似ていた。家族に美味しいものを食べさせてあげたい家族への想いは、Love ちゃんも父も同じなのだ、きっと。 

父は40年以上の歳月を北陸の金沢で過ごした。父は海で産まれて、 海で育ったので、彼の生活から海を切り離すことはできない。仕事が休みの早朝に父はよく一人で(又は子供だった私を連れて)近くの海へよく行っていたのを覚えている。少年期を過ごした環境、乾いた海藻や魚、 割れた貝殻の見える浜の暮しや海の生活の匂いをそっと嗅ぎに行きたくなったのだろう。

5年前に退職をした父は故郷の下北へ帰り小さな舟を買って毎日漁に出るという生活を始めた。漁というより、海の波に揺られてリラックスしている少年のようだ。天気の良い日は海の彼方に函館が見える。

「今日は良い凪だな~。お母さん、ちょっと海へ行って来るから、何時もの、お願いしま~す。」と、軽やかな声で話す「父と母の合言葉」。

母が握った塩気のない梅干しだけの握り飯一つと緑茶をもって、朝早く玄関を出る父。昼過ぎまで帰ってこない。心配する母の気持ちも知らないで、少年の頃に戻って海に夢中になっている父。

それが去年の夏。未だ元気だった母と父と親子三人で初めて過ごした青森での想い出。青森での2ヵ月間は楽しかった。夢のようだった。あれは最初で最後だろう。

母が入院している今は、父は海に出ているのだろうか。お握りは誰が作るのだろうか。Love ちゃんのいくらの醤油漬けのことを話したくて、今から父に電話しよう。いや、本当はただ父の声を聞くための口実なだけなんだけど。