2007年8月15日水曜日

ヨコハマメリー

このドキュメンタリーを見終えて私が再確認したヒューマン哲学は

  • 人間は誰しも老いること
  • 人間は誰しも心に残る恋愛をすること
  • 人間は誰しも孤独なこと
  • 人間は誰しも強し、弱しの両面をもつこと
  • 人間は誰しも愛されること

人間は誰しも老いること。メリーさんだけではなく彼女と同じ激動の戦後時代を生き抜いた人々もまた老いていく。そして死が訪れるまでの残りの人生をその人其れ其れに色ずけて行く。

人間は誰しも心に残る恋愛をすること。若しメリーさんとアメリカ将校との結ばれない恋愛がメリーさんを"ハマのメリー"という人物に作りあげた。仮にメリーさんがアメリカ将校(又は他の誰か)と結ばれる結末だったならば"ハマのメリー"は存在しなかっただろう。

人間は誰しも孤独なこと。長い人生を生き抜くには、性別や職業に関係なく、 孤独という戦場を一人で前進して行かなければならないこともある。

人間は誰しも強し、弱しの両面をもつこと。 メリーさんは閉鎖的な日本社会で自分の過去を堂々と背負って生き抜いて来た、それを"強い人"と称讃する人が大勢いたからこそ今回のドキュメンタリーが製作された。それに共感する一方、彼女は本当は"弱い人"だったのではないかと私は思う。若き頃のアメリカ少佐との恋愛、自我の美貌、上級娼婦としての自尊心の絶頂期からいつまでも抜けだせない人だったのではないか? 自分が老うという事実に"意識的に"目を反らして生てきたのではないか? 彼女のチグハグな化粧や服装が不自然にみえたのは、自然の人間の生き方(若き過去を捨てて、老いの現在を認めて生きること)に逆らったものの結果ではないか? ドキュメンタリーの終りで、横浜を離れ故里の老後施設で暮らすメリーさんが撮影された時の彼女は, 薄化粧の美しい女性でとても自然だった。横浜でキンキラさんと呼ばれていた女性とは思えないほどの別人になっていた。何十年もの間横浜という舞台で"ハマのメリー"を演じ終え、故郷に戻り本当の自分の姿に戻ったからではないのだろうか? ハマのメリーの下面を外し、現在を生きる彼女の姿こそが真の"強い人"ではないのだろうか?

人間は誰しも愛されることメリーさんを応援してくれた横浜の人々。娑婆の世界には必ず自分を愛してくれる人がいるはずだ。自分が心を開く時、他人も心を開いてくれる。人間は一人では生きていけない、 お互いに愛し愛されて生きていくのだ。

この世に産まれてきたからには生きていかなければならない。苦しいこと、 哀しいこと、 楽しいこと人生は波乱万丈だ。メリーさんは横浜の人々に強く印象に残る生き方をなされたが、別に他人を驚ろかせるほどの生き方をしなくてもよい。自分が満足する生き方をすればいいのだ。

最後に、パワフルママさんが日本製DVDプレイヤーを貸してくれたお陰でヨコハマメリーを観ることができました。有難う、パワフルママさん。