私は本を読む。"読む"と云っても"理解"するより"目を通して自分の好きな箇所だけ選抜して頭に記録する"という我がままな読書方を実行している。数ページ読んでみておもしろくないと直ぐに本を閉じてしまう。皆さんはどうですか?
先週*友人が乙武洋匡さん(おとたけひろただ)著作の五体不満足(講談社)を貸してくれた。未だ金沢に住んでいた頃、 乙武さんをテレビのトークショーで拝見し彼の本を読んでみたいと思ったが、読む機会がなくそのまま忘れていた。今回は絶好のチャンスだ。
2日前に本を読み終えた。本の内容で印象に残ったのは彼に影響を与えた学校の先生達だ。ほんのわずか教育関係に携わった私は、自分は果してどうだっただろうと回想した。
教師の何気ない言葉や行動が生徒にいかに(良くも悪くも)影響を与えるか。同様に、生徒の一言に先生がいかに励まされたり、 むかついたり、 落ち込んだりするか。良い想い出、悪い想い出、いろいろあったが卒業していく生徒から"有難う、NANA先生"と云われると教室での私の小さな任務は終ったと少し安心した。もう2年以上も前の話だ。話が想い出話に逸れたので、 本題に戻そう。
老年、中年、青年、幼児、障害者、健常者、日本人、アメリカ人、人間なら誰しも人生のその時その状況に応じて、自分に影響する人間が周りにいるはずだ。身近にいる教師、両親、友人に限らず旅行先での一期一会の赤の他人の言語行動にでさえ、感動したり、 激怒したり、 感謝したりすることがあるはずだ。だが肝心なのは相手の行動/言葉などを自分がどう受け止めるかだ。つまり乙武さんが示唆しているように"本人の気持ち次第"で自分の思考がネガティブになるかパジィティブになるかが決まる。障害者だからできない とクヨクヨする人生を送るか、 障害者だから出来る ことを追及するワクワクした毎日を送るかは、彼次第。
自分の生活環境を"仕合わせ"と思うか"不仕合わせ"と思うかは自分次第で誰の責任でもない。旦那と喧嘩をすると"あなたと結婚したから仕合わせじゃないのよ!"とよく彼のせいにする自分を反省した。彼しか私を嫁に貰ってくれる人はいなかったのだから、 私が頭を下げて素直にお礼をするべきなのかもしれない (人間、謙虚な態度が必要)。こうして文章で表すのは簡単だが、 いざ態度や行動で表すのは難しい。じゃ、 今から旦那に感謝のハグでもして来ようかな~。こんな可愛い気持ちも明日には忘れているだろうけど、、、、。
*この本を貸してくれた友人はいつも"仕合わせ~、仕合わせ~"と連発している仕合わせ者だ。有難う、 仕合わせさん!