2007年8月14日火曜日

伴侶の死

夫婦って一体何なの? 他人と他人が一緒に家庭を営むことが夫婦なの? だったら旦那と結婚して10年以上になるけど、チャイルドレスの私達夫婦、マイホームのない私達夫婦は、入籍なしの同棲カップルとどう違うの? 


夫との結婚生活にいつもこんな疑問が頭から離れない私だった。喧嘩をすればすぐに「離婚だ、離婚だ!」と騒ぐ幼稚な奴。そんな私を壮大な心でいつも包みこんでくれる旦那に今から出来る内に出来るだけ感謝しておかないと後悔してしまうと悟ったのは、 青森で精神病の母を黙って看病する父の姿があまりにも必然的夫婦に私には写ったからだ。

自分の伴侶が旅行で家にいないのと、病気で入院して家にいないのと、死んでしまって家にはもう帰って来ないのとは、それぞれ精神的、体力的に受ける衝撃は違う。現在の父の場合は母が病気で入院して家にいない。娘達には平然を装っている。が、そんな態度とは裏腹に母なしでは何もできない父を私は知っている。入院中の母がいない家は寂しいよと、明るく洩らす父。母のいないリビングで父は自分が永年連れ添った妻を偲んで退院する日を待ち望んでいる。

夫婦とは血を分けた家族以上に大切な人を捜してその人と家庭を作ることならば、やっぱり旦那と私は夫婦なのだ。日本の家族以上に安心する存在。こんなこと頭では分かっているのに、愚痴が感謝の言葉より先に口から出てくる。旦那に対する甘えがどこかにあるからだ。甘えさせてくれる旦那に本当は感謝しないといけないのに、、、、反省します。

旦那に対する気持ちが変わった切っ掛けは、 病気の母への父の献身的な
な姿を見たからだけではない。一冊の本「伴侶の死」を手にして読み始めた時点で私の中で何かが起った。2週間前に電話で母の様態が好ましくないと父と千寛ちゃんが電話で知らせてくれたその日に、偶然図書館で私の目に止まった一冊。丸で運命的な出会いのようだった。

平岩弓枝さん編の「伴侶の死」(*文藝春秋出版) は日本全国から伴侶の死をテーマにした投稿を選抜し一冊につずった作品。帰ることのない伴侶に想いを伝える投稿者達。亡くなった伴侶を偲んだり、感謝したり、新しい暮らしを報告したり、 人によって反応は異なるが、「夫婦とは何か」という私の疑問にそっと灯りをともしてくれた。


ページをめくる毎に自分と旦那との結婚生活を省みる。生存中に感謝できなくて後悔する方々の投稿を読む毎に、旦那と一緒に過ごせるこの瞬間、この時間、この一日が貴重なものになっていく。死んだら、お仕舞い。話もできない、ご飯も一緒に食べれない、喧嘩もできない。後悔はしたくない。

これからは毎日有難うの気持を表現するように努力します。



*滅多に本を読まないので、文藝春秋(ぶんげいしゅんじゅう) をこの歳にな
るまで読めなかった。