「可愛くて優しいお嫁さんになりたい」と小学校の卒業アルバムに書いた。 夢のない「夢」というか、「可愛い」と「優しい」の形容詞は別として私は12年「この夢」を現実のものとしている。
日本は弁当社会だ。 幼稚園のランチには、母は小食だった私を心配して、「しそご飯」をニコニコ海苔で巻いた一口お握りを弁当箱にいつもいれてくれた。
小学給食が始まる。 弁当は遠足や運動会などの特別行事に持参することになる。母は必ずうずらの卵と蛸足にしたウインナーを爪楊枝で止めたおかずを入れてくれた。
中学校に上がると、再び毎日が弁当社会となった。4時間目の授業の終了ベルがなると同時に子供達は一斉に机の上にお弁当を広げる。
私も仲良しグループと共にお弁当を食べた。しかし私はいつも母が作るお弁当に満足しなかった。
母は料理が得意ではない。料理の色合いは全く気にしない人だった。 回りの友達のお弁当は色鮮やかでとても可愛いお弁当だった。思春期の私はそういう母の無配慮な弁当にあきあきしていた。
自分の満足のいく弁当を作りたい。それから夕食後に毎晩台所に立ち私は弁当を作リ始めた。レタスやウインナー、紅生姜に卵焼き、鳥の唐揚やレモンの輪切り。弁当箱の中で食材を色鮮やかに演出させることも覚えた。
「料理下手の母」が存在したから「私の料理への想い」が深まった。 今思うと母に感謝しないといけないありがたい話だ。
Qちゃんの「(一様)ガールフレンド」になった私は、彼が大学の生徒会活動で遅くなるときは弁当を作って彼一人が残業しているオフィスに足を運んだ。
オフィスには電子レンジもあったから彼は味噌汁を温めたり、弁当を温めて食べていた。 色あいに添えたシャキッとしたレタスがレンジの熱でフニャっと萎えてしまう。 横目で「折角の努力が台無しだ!」と心で叫ぶ。
それから数年後、私は「Qちゃんの優しくて可愛いお嫁さん」になった(つもりだ)。
仕事で英語講師をしていたQちゃんはあちら、こちらと大変忙しかったがそれだけ「稼ぎ」も良かった。だからランチもレストランで食べてくれればいいのだか、Qちゃんは昔から食事(スナック)に湯水のようにお金を使うことに違和感を抱いていた。
それは彼が育った家庭環境で子供の頃から身に付けたようだ。
Qちゃんは「貧しさ」を「恥」だと考えない男性だった。
見栄を張らないQちゃんは私の父とは正反対で驚いた。そういう風にとらえる感覚を持つ異性は私にとって初めてだった。
私とQちゃんが一緒になる最大の理由の一つには「二人の金銭的価値が合った」というのは過言ではない。
Qちゃんは昔から今でもそうだが「家庭料理」を食べたがる。
あの頃にしても「食事は外で適当に食べて」と私がいっても、私にランチを作ってくれるように懇願した。
私はお弁当作りに精を出し、毎回彼の栄養も考えて、見た目も綺麗に映えるように努力した。
彼が好きなカツサンド、 卵サンド、ツナサンド。 彼が好きなパスタ弁当。 彼が好きな白身フライや照焼チキン弁当。 雪国金沢の冬にはクラムチャウダーやトマト風味のビーフシチュウをバケットと共に持参させた。
私は「Qちゃんに褒められるために」台所に立って愛妻栄養弁当を毎日研究した。現在の私が観察すると当時の愛しい新妻の努力は涙を誘う程初々しい。
夫婦には言わなくていいこともある。しかし自分が我慢できればの話だ。
ある時一人で彼の弁当を台所で作っていたら「そんなに綺麗にしなくてもいいよ」とQちゃん。そんなことが何度もあった。
ある時は仕事仲間のマーカスと家に帰ってきて、マーカスが私を見るなり「いや~今日のななの作った焼肉弁当は旨かったよ!」と言うではないか!
マーカスの前であたふたするQちゃんがどう説明するか鋭い目で待っていると
「なな! 僕は『アメリカ人』なんだ! 日本の弁当は『冷たいご飯』だろ? あれは僕には食べられないんだよ。ごめんよ」
「じゃ、『アメリカ人』は寿司もレンジで温めて食べるのね? 」と皮肉った口調で私がいう。
二人のやり取りを側で見ていたマーカス。
「大丈夫だよ、なな。 君が作った愛妻弁当は僕がクデュースのかわりに食べてあげるから」と慰めにもなっていない言葉。
ユーモアたっぷりのマーカスはいつもこうだった。あはははとQちゃんと二人で笑っている。Qちゃん、あんたはそこで一緒に笑っている場合じゃないでしょう!
その日を境に新妻の弁当つくりの気力は低下した。
それでもQちゃんは家から弁当を持っていく習慣をかえない。 お金もそうだが、いちいちランチ休憩で外に出る時間がないのだ。
彼は昔から仕事に打ち込む仕事人間で、オレゴンでの今のノンビリ生活は仕事人間のQちゃんからは想像もつかない。
だから私はできるだけQちゃんと「このゆっくり貴重な時間」をできるだけ過ごして記録に残したいのだ。
ここ12年Qちゃんのお嫁さんになって判ったこと。 そしてこれからも実行していくこと。
日本人の私は外見を考慮していたが、アメリカ人のQちゃんは中身を考慮する。
私は数品のオカズを弁当に一つ一つ綺麗に詰めていたが、Qちゃんはご飯の上に何でものせれば満足なのだ。
私のワンプレート晩ご飯はQちゃんのプラクテイカルなコンセプトが影響している。
だからQちゃんのお弁当はいつもシンプル。 残りものを弁当箱にポンポンいれるだけ。Qちゃん自作弁当: 肉ボール、玄米、リフライビーン、人参、 ブロッコリー、 葱。
中学生の私だったら、どんなに好きなQちゃんが作ってくれた「このお弁当」でもあきあきしているだろうな。
晩ご飯: プラクティカルなQちゃんに作ってもらいましょう。 鍋になんでもかんでも入れてしまえば、 あっという間にトムヤムスープ(ライスヌードル入リ)の出来上がり。Qちゃん、おいしいよ。 ちょっと味が薄いけどヘルシーなQちゃんだもんな、仕方ないか。
夫婦は言わなくてもいいこともある。 だけどブログに「ちょっと味が薄い」って書いちゃった。
「言う」のと「書く」のは違うでしょう? 特にQちゃんの場合はね。
だってQちゃん日本語読んでないでしょう? いつもブログ画像の確認だけだもん。だからQちゃんには判らないってこと。
Qちゃん、今晩のトムヤムスープおいしかったわよ、とっても。 それだけ知ってれば充分幸せなのよ、私達。