仕事の休憩時間は本を読むようにしている。 それに気付いた優しい仕事仲間はよく本を貸してくれる。
黒猫さんが「これ、ななちゃんに」と差し出した本。小手鞠るいさんの「エンキョリレンアイ」。
ストーリは「いかにも作られた恋愛ストーリ」。まるで2日前にQちゃんが見ていたウッディーアレンの映画を活字で読んでいるようだ。
日本語を片仮名にするとなんでも「カッコいい!」と思いがちな日本人女性には「この手の本」は堪らないだろう。15年前の私だって彼女らの同朋だったのだからそれくらい判る。
堅苦しい日本語漢字をカタカナに変換するとその言葉や意味までも変わってしまったように思えて、まるで日本社会から逃避できるような夢心地な気分に浸れるのかもしれない。
ならば私は「エンキョリレンアイ」と「遠距離恋愛」両方を経験したことになる。
離れていればいるほど「あの人」の体の温もりをこの指で感じたい。
「あの人」がいないこの時間が私だけの「空想あそび」で終わらないように心のどこかであの人からの「リアルな確信」がほしい。
身体で繋がりたい、それができないならせめて「あの人」と言葉で繋っていたい。
距離と時間という障害物があればあるほど「あの人」からの文字や声で彼に触れていたい。
雨の日も風の日も雪の日も「あの人」からの手紙を首を長くして待っていた。
「あの人」は手紙でも電話でもいつも最後に「好きだよ」と私に言ってくれた。
だけどその言葉はいつも何故か「リアル」ではなかったように私は感じていた。
「いつか、サヨウナラ」といっているみたいに私は感じていた。
私が最初の「エンキョリレンアイ」をした時「あの人」に抱いた感情だ。
私のフォルモンを燃え上げさせた「エンキョリレンアイ」。(性欲旺盛な10代後半だったというのもついでに述べておこう。)
「あの人」とは実らなかった映画のような「エンキョリレンアイ」。
だから素敵なままで今でも心に残るのだろう。
次の「遠距離恋愛」を経験するころには私はもはや夢心地な現実逃避の世界ではなく、 リアルタイムの中に「この男」と共存していた。
恋愛は身体より頭で計算できる(ズル)賢い女に少しは成長したようだ。
「エンキョリレンアイ」は失敗に終ったが、「遠距離恋愛」は成功させたと私は確信している。
私の「遠距離恋愛」が成功したのは3つのことを心得ていたからだ。
(1)二人が離れている目的/理由が明確で、その目的が達成されたら「二人の将来がある」という保証があった。
(2)遠距離の時間を「淋しさ」で埋めるのではなく「将来の投資」と前向きに考えた。「一人の自由時間」が出きたのだから、遠くで相手が向上しているように自分も向上するように努力した。
(3) 自分がされて嬉しいように相手にも「頻繁に激励レター」を送る。(*相手から返事がなくても激励を送り続けた。 決して「好きな人ができたのね!」とか「私を嫌いになったのね!」というような「重たいお荷物女」にならなかった。)
私は「この3つの心得」を頭に入れて、3度程「この男」と「遠距離恋愛」に繰り出した。その結果、遠距離ほど(結果はどうなろうとも)「二人の関係を試す」ものはないと学んだ。
何度もいうが、私は「この男」と具体的な将来の保証があって「遠距離恋愛」に踏み出した。「将来の投資」という利己的報酬がなかったならば、「エンキョリレンアイ」を2度も繰り返すほど私はもうナイーブではなかった。「遠距離恋愛」と「エンキョリレンアイ」の違いは「現実」と「妄想」だったのかもしれない。この本を読んでからそう考えるようになった。
遠距離恋愛期間、私は「この男」にエアメールで手紙を送り続けた。日本からアメリカに出したこともあったし、 逆にアメリカから日本にいる「この男」にエアメールをせっせせっせと送ったこともあった。
私が「この男」に送った激励レターは中位のダンボール箱2つに溢れるほどになっていた。
遠距離恋愛期間が終ってからも「この男」は私が送った手紙を奇麗に束ね、輪ゴムで縛り、ちゃんと保管していた。
時々「この男」に宛てたその手紙の束を一人ダンボールから取り出して「あの頃の自分は彼に何を求めていたのか」を読み起こしてみたこともある。
「結婚したらこうでありたい。 そしてああして、 そうして、 それからああなって、そうなって、、、」と私は「この男」との将来を手紙の中で描いていた。
残念なことにハワイからオレゴンに引越する際に私が送ったあの恋文の束は「この男」の手で処分された。
「遠距離恋愛」はもうしていないが、今は「この男」と「近距離恋愛」をして暮らしている。
今ではエアーメールではなく、ブログでラブレターを頻繁に発信している。
晩ご飯: 寿司飯が食べたくて、食べたくて。 とうとう巻きました。カニカマサラダ巻!
美味しいお寿司で、Qちゃんの心も巻いちゃった!