2008年6月14日土曜日

緩い一日

何もしたくない気分で朝目が覚めた。 キッチンの小さいカウンターには昨日洗わなかった皿やカップがたたずまって私を見ている。今日の仕事は朝のミーティングを終えてそれから遅番の勤務まで3時間ほど時間がある。 再び家に戻って「この汚れた子供達」を奇麗にしてあげてもいいが、 なんだろうか。今日の私は何もしたくない、全てを放棄したい。

そうだ、そうしよう。 何もしたくないんだから、しなくたっていいじゃないか。心思うままに、風吹くままに過ごそうじゃないか。よし、仕事にいって来よう。 ミーティング後の3時間は読書をするにはもってこいだ。 私は2冊の本を道連れに家を出る。

ミーティングが終る。従業員ラウンジのソファーに深く腰かける。 本を片手にリラックス。

黒猫さんやアンちゃん、パットちゃんが何やらわいわい話をしている。

どうやら図書館前で開催されている「土曜市場」に黒猫さんはこれから行きたいようだ。黒猫さんが私を誘ってくる。

「駄目だよ、だって私この本をすごく読みたいんだもん」手元にある本を黒猫さんに見せる。

事実この本「脳内革命」を読みだしてから「長い間自分の潜在意識を誘導していなかった」のを改めて指摘される。今までの生活習慣の反省とこれからの生活習慣改善も兼ねて一気に「この聖書」を読み尽くしてしまいたい。

頑固に土曜市場デートを拒否する私に食い下がる黒猫さん。終いには陽気なラテン姉妹のアンちゃんとパットちゃんから、

「なな!行きなさい! 市場には楽しいものがいっぱいよ!おいしい屋台が沢山あるし、ライブミュージックも聞けるのよ。さあさあ、こんな所で座ってないで外に出て太陽にあたって来なさい!」

ラテン姉妹に押されて、この勝負はこの二人を味方につけた黒猫さんが勝利を獲る。

私はジャケットをはおって「いってらっしゃーい」というラテン姉妹の笑顔で見送られながら黒猫さんの後を追って従業員ラウンジを出る。

週末の朝の渋滞はまだ始まっていないようだ。車で5分もあれば土曜市場についてしまう。

さて問題は駐車場だ。すでに市場は車でいっぱいだ。

「少し歩くことになるけど、ここで駐車してもいいかな?」2ブロック離れた高校の競技場の裏側道路に黒猫さんは車を駐車する。

黒猫さんと私は朝の涼しい路地を歩く。太陽の光が緑の木々から洩れる。気持ちいい。ビタミンDが私のスキン細胞を活性化している。

それにしても好きな人とこうして外を歩くというのはそれだけで好い気分だ。黒猫さんは車や人を気にしながら道路をさっささっさと横断していく、私はその後を追う。

市場に近ずくにつれて新鮮な野菜が入った袋を抱えたおばあさんや、にこやかに散歩する老人夫婦、サングラスをかけてさっそうと歩くポニーテールのお姉さんなどと道を交した。 彼らは土曜市場を楽しんだ帰りなのだ。

週末は仕事のため「週末の過ごし方」をすっかり忘れていた。家族連れのお父さん、お母さん、恋人や友人達には「週末は家族/恋人/友人の時間」なのだ。

「ねえ、すっごくおいしいホットドッグがあるんだから! それが食べたいの!ななちゃん、おごるから食べにいこうよ! ねえ、行こうよ!」

黒猫さんがそういって私を口説いたサタデーデート。人の群れを縫うように歩いていく黒猫さん。「目的の屋台(ホットドッグ)」に向かう足取りは早い。

ホットドックスタンドは市場の一番角に立っている。黒猫さんをあれほど強く虜にしたホットドック。スタンド前には数人の列が出きている。

4人の従業員がレジ係、注文を取って作る係、プリッツなど他のアイテムを販売する係と効率良く小さなスタンドでクルクルと動いている。

分厚いジャーマンソーセージーが噛みごたえのあるサンドイッチバンに挟まれ、その上にごっそりと酸味控え目の食べやすいサワークラウトがのっかった「すっごくおいしいホットドッグ」を黒猫さんのおごりでご馳走になる。

Qちゃんはドイツ系アメリカ人。サワークラウトタップリのジャーマンソーセージ。Qちゃんをここに連れてきていたら泣いて喜んでいただろう。

二人で噴水前のベンチに座り、前行く人々を目で見届けながら、プリプリしているジャーマンソーセージにかぶりつく。

二人がよっぽど旨そうに食べているからか、それとも私が口の回りいっぱいに黄色いマスタードをひげのようにつけて滑稽な顔をしているからか。「Oh!」と目を大きくして歩行者が二人に微笑む。

回りの目なんて気にしない。「笑われても、旨いもんは旨いんだ!」ってな気分だ。

歩行者も食べたいと思ったに違いない。「ママ、あれ食べたい!」そんな子供の声や「なんだか小腹が空いてきたわね」なんて声がひそひそと聞こえてきそうだ。

私達のホットドッグを横目でみた歩行者。すぐ底に立つホットドッグスタンド。一体何人の歩行者がスタンドに立ち寄ったであろうか? 宣伝料として「もう2本」ジャーマンソーセージを無料で食べさせてもらってもお釣りが来るくらいだ。

などと黄色のひげをつけたまま「そんなこと」を考えていたら、黒猫さんがそっとナプキンを渡してくれる。

なんだろうか、私の周りはこういう「しなやかな女性」が多い。

周りを判断して必要なものをさっと用意してくれる女性。気の利く女性とでもいうのだろうか。私にはどうもこのスキルが不足している。

このスキルは「女」であることとは遺伝子的に無関係かもしれないが、社会的/文化的背景から見るとまだまだ「女」にこのような配慮(女らしさ)を期待する「男」が多いのではなかろうか。

だけど、私とQちゃんは少し違うな。

いつもナプキンを差し出すのはQちゃんだし、目脂が出ているときにも取ってくれるのもQちゃんだし、恥しいけれどはなくそが顔を出しているときに「ついてるよ」とティッシュを渡してくれるのもQちゃんだ。

私はあまり見出しなみの配慮をしない「女」で育ち、Qちゃんは「女の私」より見出しなみを配慮する「男」で育った。

ただそれだけのことだ。 別に互いがそれでいいといっているならばそれでいいんだ。人は皆違うのだ。

目の前で走り回るあの子供だって大人になれば「彼の生活」がある。私の後に座っている家族連れのパパだって「彼の生活」がある。隣で日向ぼっこをして目を細めて気持よさそうにしている黒猫さんだって「彼女の生活」がある。

私にも「私の生活」があって、Qちゃんにも「Qちゃんの生活」がある。人は皆違うのだ。

人混みを見ていたら黒猫さんにいいたくなった、私の特技を。

「私さ、長時間人ごみをじっと見ていることができるんだ。 ほら、空港での長い待ち時間でも一人でベンチに座って人間観察するの好きなんだ。 それでさ、 あの人はこんな事情があって、 あの人はこういう理由で海外に立って、そんであの人はああだ、こうだって自分で『あの人』のシナリオを空想して遊ぶんだよね」

黒猫さんは「そうなんだ」という顔つきで微笑んでいる。なんか安心するんだよね、黒猫さん。

黒猫さんだけじゃないんだけど「安心できる人」っているよね。

あれは相性が合うのかな? いっしょに座っていても「ぎこちない人」もいるけれど、座っていても苦にならない「すんなりな人」。

私は恵まれているんだろうな、自分に合った人間に出逢えて。黒猫さんの隣で黙って考える。

土曜日は仕事で忙しい。私がせこせこ働いているおなじ時間に外ではこのようなイベントが繰り広げられている。

ライブ音楽を楽しみ、オーガニックな新鮮野菜を買い込み、バブルティーのタピオカをクチュクチュ噛みしめ、摘むたてのオレゴニアンベリーがパイ生地からはみだすほどに詰め込まれたホームメイドパイを午後のおやつに頂く。紫、黄色、ピンク、赤、オレンジ、白、色取り取りの花束ブーケがバケツから満円のスマイルでご挨拶。

私が忘れていた土曜の街は素晴らしく陽気だ。

見るものや聞こえるもの触るものが全て新しく何かを発見するイベント。こういう人の群れから自分は掛け離れていたことにきずいた。そして時間が許されるならば感性を磨くためにこういうところで偶にはホロホロしたい。

「こんなことなら家からカメラを持参してくりゃよかった」と黒猫さんに告げるほど胸もお腹も感謝でいっぱいになるサタデーデートだった。

黒猫さんに「強引に」連れられてきたはずのサタデーデートだったが、黒猫さんが運転する職場に戻る車の助手席で「いいもんを覗かせてくれてありがとう」と180度感化された私が座っていた。

仕事に戻るとラテン姉妹から「どうだった? ライブ音楽もしてたでしょう? 行って良かったでしょう?」と興味有りげの質問攻めにあう。答えは全てYES。

「二人に強く勧められていなかったらあんなに愉快な経験はできなかった。 ありがとう」ラテン姉妹に感謝の言葉を表す。

「I told you!(だからそう言ったでしょう!)」アンちゃんが優しくいう。

仕事が7時に終る。黒猫さんとのサタデーデートの心地良さがまだ残っている。なんだかQちゃんと夕食デートをしたいソワソワした気分。

朝キッチンで「汚いままで残してきた子供達」のことを思い出した。料哩はしたくない。

今朝宣言したではないか。「心思うままに、風吹くままに過ごそうじゃないか」と。

そうと決めたら即と会社から自宅に電話を掛ける。

「もしもしQちゃん? 台所のお皿奇麗にしてくれた? してないんでしょう? だったら今夜の夕食にバフェットパレスに連れていってよ。 何だか作る気分じゃないの」

二つ返事で O.K. という言葉が返ってくる。私は仕事場の駐車場でQちゃんの水色の車が来るのを暑い夕暮れの中でワクワクしながら待っていた。

「渋滞だからかな、車にしてはやけに時間がかかるな」と退屈になりかけてきた時、アロハシャツとジーンズ姿のQちゃんが向うからトコトコと歩いて来た。

「車で来るかと思ったのに」とQちゃんと肩を並べて歩く。「ということは歩いていけるレストランで夕食という計画だな」とQちゃんの頭の中もちゃんと読めるようになった。

家の帰り道にはレストランの選択が幾つかある。

ピザやサンドイッチ、ハンバーガー系統はパス!アメリカンフードは財布から札束を出して食べるほどでもない。

Qちゃんはメキシカンかインドかメダトリアンにしようと指示してきた。しかし私が乗り気ではない。

私はチャイニーズが無性に食べたくなる人間で、やっぱりこの夜も前から行ってみたかった「チャイナムーンレストラン」のバフェットを体験してみることに。

Qちゃんは去年の夏一足お先に友達とこの「チャイナムーンレストラン」で食事をしたことがある。彼が「簡単な寿司もあるよ」といっていたのを思い出す。どうも寿司に弱い私。

外装からじゃわからないけれど、内装はゆったりしていて広くて良い感じ。オーナーの女性も丁寧で親切で印象がよい。

バフェットの種類にしても中華好きな私には充分満足のいく品数。パレスと比較すると規模と品数はかなわないだろうが、サービスに関しては花丸だ。

カメラを持ってきてないから写真をとることができなかったけれど、寿司だって悪くはないし、卵スープにしてもいける。ポーク料理やチキン、アメリカンなフライドチキンだってある。 牡蛎だって蟹だって、フルーツだってケーキだってある。

仕事で疲れているQちゃんを手前に、黒猫さんと食べたジャーマンソーセージホットドックのことや、今夢中になって読んでいる本「脳内革命」の内容を話してきかせる。

Qちゃんは飲茶コーナーからセサミボールを一つ持ってきて口をモグモグさせて静かにウーロン茶を飲んだ。

ふとフィラデルフィアでの出来事などQちゃんは昔の想い出を語りだした。二人でフィラデルフィアに移ろうかという計画を立てていた頃だ。想い出話は甘いレッドワインのように心をうつろにする。

今日は朝から心が緩やか。誰かと共にこの緩やかな時間をわかちあいたい。今日はそんな日だ。

オーナー夫婦に帰り際「あなたは中国人?」と支払いカウンターできかれる。

「いいえ、日本人です。中国語が話せるとすばらしいのですが」と私は返事をする。中国人にそうきかれるたびにそう応えることがあたり前になった。

「今度また二人で食べに来てね」眼鏡をかけた愛想のいい女主人と真面目顔の御主人が私達夫婦を温かい言葉で送ってくれる。

レストランを出た。夜8時過ぎのアパートまでの道。まだ夕方のようで空は赤い。

レストランから歩いて3分で二人のアパートに着いてしまう。私とQちゃんはお腹がいっぱいになったせいか、それとも想い出話に酔ってしまったのかゆっくりと心良く歩道を歩く。

「Qちゃん、初めてだね」長い間連れ添ったQちゃんに話しかける。

「いつもQちゃんが結婚記念日を思い出させてくれるのに、今年はQちゃんもすっかり忘れていたね。 きっと仕事で頭が一杯になっていたんだね」

私は今だにQちゃんといつ籍をいれたか覚えていない。

毎年Qちゃんが「結婚記念日おめでとう」と報告してくれる。そして私はその日が結婚何年目になるのかさえも頭にないので「今日で結婚何年目になったか知ってる?」とQちゃんに必ず確認をさせられる。それが「我が家の風習」なのだ。

今年は「我が家の風習」が行われなかった。確か先月の24日(か25日か26日?)が13年目の結婚記念日だったはずなのに。

「それは、都合がいいや。今夜のチャイニーズディナーが今年の結婚記念日プレゼントってことにしておこう」Qちゃんはクスクスと私を見て笑っている。変わることのない優しい目。

「僕達の結婚記念日は『今月』の『22日』だよ」とQちゃんは怒るでもなく呆れるでもなく郵便箱からメールを取り出している。

またやってしまった!Qちゃんとの結婚記念日を私は生涯覚えられないのかもしれない。

家に帰っても緩やかに過ごそう。靴を揃えることもなし、ジャケットは床に脱ぎ棄て、鞄だって今夜は玄関先でおなすみなさい。レストランからのフォーチンクッキー。「You will be the guest of a gracious host within the month. (1か月以内に親切なホストのゲストとなるでしょう)」って書いてある。

「もう叶ったじゃないか。 今日黒猫さんのゲストとしてデートを楽しんだろう?」とQちゃん。

明日はオフのQちゃん。ソファーでごろ寝でもするのだろか、布団をベットから持ち出している。

私はシャワーも浴びずにベットに潜り込む。「今日一日は最後の最後まで心思うままに、風吹くままに」