案の定父からだった。
母の状態がまたしても良くないとの報告。
父は精神病の母に振り回わされて10か月になる。 そろそろ限界だ。いいや、 限界だったけれど我慢強い父は娘達には弱音を吐かなかった。 昔から父はそうだった。
医者はずっと前から退院を勧めている。退院する予定だった矢先、 母は何かと言い訳をつけてそれを拒んできた。父はそれを見守ってきた。こんなことが数回あった。
拒んだ本人は「退院をしたい」と医者や父に話していたにも拘らず、退院予定の日が足音を立てて近ずくころには「退院はしたくない」に変貌するのだ。
母はそのつど、そのつど言葉を替えるので医者も父も四苦八苦しているようだ。
まるで子供のようになってしまった母。 本人は意識していないのだろうが子供のように自分の思うままに生きて、周りの大人達をもてあそぶ母。
悔しいけれど私には「今の母は自己中心の甘やかされた女の子」と重なるのだ。
それは「病からくる社会的無責任な判断能力からくるもの」なのか、 それとも「大人としての判断能力がある上で、 生きるチャレンジへの自己放棄」なのか。
40年以上連れ添ってきた父にも判らないのだから、私に判るはずがない。
父は口数の少ない男だが、昨日は余程参っていたのだろう。 今まで一人で心に溜めていた疲れをどっと私に漏出していた。 それを「うんうん」とただ黙って聞いていた私。
誰かに聞いて欲しかったのだろう。話し終えるとスッキリしたのか「ハハハッと笑う普段の父」が受話器の向うにいた。
朝の4時前に目が覚める。Qちゃんが起きるまで時間がある。 昨日洗わなかった汚れたフライパンやお皿を洗う。
しばらくしてQちゃんが起きてくる。 シャワーを浴びている。
その後、 Qちゃん、ペー君、私でソファーに座り「昨日の父からの電話」のことを報告。Qちゃんが父と母にお祈りをした後、仕事に出掛ける。
幸か不幸か、 同じことが繰り返えされると人間は「それ」に慣れてしまう。母の「退院への拒み」に慣れてしまった冷静な私がここにいる。
「またか」、「まただろうな」、「いつものことだからね」、「もういいや」とさじを投げている自分がいる。
いい加減な娘なのだろうが、私に何ができるというのだろうか。
気分がモヤモヤしている時はバスタイム。
オニオンプランツ達もスクスク育っている。 生きているんだ、動かないけど生きている。
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バスタイムを終える。 黄色タオルで身体の雫を拭き取るように、モヤモヤ気分も拭いとる。
さあ、新しい朝を始めよう。 おはよう、 こんにちは、 自分が暮しているこの環境にありがとう。
Qちゃん、 じゅんさん、仕事仲間のオレゴニアンさん達、 日本のミクシー友達。 皆さんのお蔭で支えられて生かさせてもらってます。 どうもありがとう。